灯台下暮らし

灯台もと暮らし

振り返ってみると色々なことがありました。去年の夏、神野先生が伊勢大神楽を追って牛窓にいらっしゃった時に教えていただいた伊勢大神楽の歴史や裏話などがとても興味深く、いつか神野先生の授業を受けてみたいなあと思っていました。ある日神野先生がFBにこの授業のことを書いていました。僕はちょうどその頃、民謡クルセイダーズにハマっていたのもあって「『日本とアジアの伝統音楽・芸能のためのアートマネジメント人材育成』かあ。海外のミュージシャンのライブの企画のしかたとか教えてくれるのかなあ」なんていう、とんだ勘違いで申し込んでしまったのです。

そんな動機で入ったものですから、韓国の「農楽」や東北の「鹿踊り」、青ヶ島の「還住太鼓」など、自分からすると初めて耳にする「ガチ」な伝統芸能の名前が飛び交い、実際の演舞などが観れてとても楽しい反面、「演奏もできないし、伝統芸能の知識もないぞ、これはやばいぞ!」という不安も出てきました。

授業も後期にさしかかってきた頃、最終成果物のプロジェクトに村人同士でチームを組んで取り組んでくださいというお話がありました。基本的にはzoomで先生の話を聞いているだけなので、授業を通じて親しくなったクラスメイトがいるわけでもなく、一体誰と何をしたら良いのか全くわからず、神野先生に電話をしました。
「先生、私は伝統芸能のことも太鼓のこともほとんど知識がなくて、最終成果物のプロジェクトで誰と何をしていいのかわかりません。」
「相澤さんみたいな民俗芸能の『外の人』に受けてもらいたい授業だったので、理解することが大事なわけではないのです。相澤さんのような移住者が、自分の住んでいる地域の文化や伝統に興味を持ってお祭や行事に関わったりするきっかけになることがこのプログラムの肝だと感じています。牛窓にはせっかく唐子踊という伝統芸能があるのだから、それを調べてみてはいかがですか?岡山出身で韓国に留学していたそんちゃんを紹介するので一緒にプロジェクトに取り組んでみては?」

所詮ミミズのような単純思考なのです。電話を切ってから俄然やる気になり、鼻息荒めにそんちゃんにメッセージを送ったのでした。

コロナで完全白紙

『唐子踊を楽しく紹介したいな〜♪』最初はそんな軽い気持ちだったんです。最初に応募した企画書は僕の飼っているロバのロロちゃんと一緒に、牛窓で伝統芸能を探すYouTube旅番組『うしまドンキーさんぽ』というゆる〜い企画でした。そんちゃんは幸いにもまだ20代前半なので電波少年世代ではなく『それ、ロシナンテのパクリじゃないですか!』なんて怒られることもなく、真面目にしっかりした企画書を作って提出してくれたのでした。

ところが、東京からGOTOして一緒に取材するはずだったそんちゃんが長引くコロナ禍で移動できなくなり、当初取材予定していた牛窓の歴史に一番詳しい方からも「不要不急の来客はちょっと…」と断られてしまい、プロジェクトが完全白紙に戻ってしまったのが去年の年末。

「人が伝統を語る時はいつもそれが絶滅の危機になった時」

牛窓では多くの家の外壁は黒い焼杉です。それは「なぜブロック塀なのか?」と同じレベルで焼杉について話す人は誰もいません。担い手が少なくなったり時代の変化についていかなくなったり、人が伝統を語る時はいつもそれが絶滅の危機になった時、あるいは無くなってしまってからです。それを私に教えてくれたのは、一風変わったフランス人でした。焼杉は現在進行形の伝統技術なのです。焼杉のように当たり前に続いているけど本当は「伝統技術」と呼べるものが身近にたくさんあるはずだと思い、自分のやるべきプロジェクトは過去の物事を調べることではなく現在進行形のもの、今の自分が語り手になれるものがいいなと考えていました。

…とはいえそう簡単にアイディアが浮かんでくるはずもなく、正月には何かアイディアが降ってこないかと暴呑暴食を繰り返してみてもただただ眠くなるばかりで、時は刻々と過ぎていくのであります。
正月のご馳走もお年賀で頂いた酒も底をつき、中間発表会の期日まであと10日。そこに追い討ちをかけるように、運転中に車の左前タイヤのベアリングが破損。

ガタガタゴロゴロいいながら車を修理工場に入れ、「運転もできなくなっちゃったし、これでまた酒を飲む理由ができてしまったなあ…」なんて人間的にもポンコツになりかけていた矢先、たまたまそこに居合わせた去年まで唐子踊をやっていたという5年生、翔くんとの出逢いからこのプロジェクトは突然動き出します。
牛窓自動車の根木さんが翔くんの所属するラグビースクールのコーチだったこともあり、すぐにお母さんに連絡を取って下さり、インタビューの許可をいただきました。そうなると唐子踊保存会にも許可の連絡をしなくてはと思い役場の知り合いに連絡先を尋ねると、よく地域のイベントで顔を合わせる藤井さんが保存会のメンバーであり、しかも一緒に来る子供と親子2代に渡り踊り子だというではないですか!地元の人間が2組も取材に応じてくれたという既成事実を作ってしまえばもうこっちのものです。目の前に現れた人間は片っ端からその場に座らせ、現れない人間には家まで押しかけ「唐子踊とはなんぞや!」とカメラを向ける気迫の取材に、相手は断るタイミングを失ってしまうのでした。

1月23日「オンライン芸能村の年迎え祭り」

1月21日までインタビュー取材を続け、インタビュー動画のダイジェストが出来上がったのは1月23日の中間発表会ギリギリでした。(完パケがギリギリになるのを見込んでリハーサルを最後にしてもらったら自動的に本番も一番最後の大取りになってしまったのは全くの誤算でした泣)

そして上映会&座談会

そして、神野先生の呼びかけに応じて下さった韓国コチャン農楽保存会のイ・ソンスさん、韓国ウォンジュ在住の農楽奏者のイム・スンファンさん、韓国総合芸術大学のキム・ミソンさん、青ヶ島還住太鼓奏者の荒井さとしさん、牛窓唐子踊保存会の藤井さんと現役踊り子の竣大くん、そして芸能村の有志と我々で映像作品唐子踊はだれのもの?自主上映会&日韓座談会をYouTubeライブで配信することができました。

唐子踊はだれのもの?は、牛窓という小さな港町の小さなお話ですが、 そこには世界が抱える全ての伝統継承にまつわる問題がリアルに描かれていると思います。 最初から最後までずっとズレてる私を見捨てなかった神野先生、就職活動と学校で超忙しい中徹夜で韓国語字幕を作ってくれたそんちゃん、急なお願いなのに同時通訳としてご尽力下さったイム・へジョン先生、映像資料などを快く提供してくださった唐子踊保存会会長様、そしてこの素晴らしい学びの場を創ってくださった東京音楽大学のスタッフの皆さまに心より御礼申し上げます。 プロジェクト代表・相澤心也

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