三匹が行く

〜金津流石関獅子躍の生まれたところと、今、躍ること〜  ③ 松森の記憶と今〈エッセイ1〉

及川ひろか

 平成3年に、松森に隣り合う丘の上に位置する鶴が丘に移り住み、18歳まで暮らしました。卒業した松森小学校の裏手には大きな山があり、高学年の時にはちょっとした課外活動で登った記憶があります。それが鶴ヶ城跡(松森城跡)です。当時も既にお城はありませんでしたが、桜が咲き誇り広々とした高台で感じる風は清々しいものでした。夏には友人たちと、松森にある熊野神社のお祭りに出かけました。しかし、遠足は、隣の利府町に続く「宮城県民の森」へ出かけることが多く、年月とともに鶴ヶ城跡のことを気にかけることはなくなっていきました。

 鶴ヶ城跡から仙台港を臨む
撮影:千田祥子 (2020年12月29日)

その後、オーケストラの仕事を通して、剣舞(けんばい)や鹿踊りに出会い、「郷土芸能」をほとんど知らなかった私にとって、装束をまとい堂々とした踊りに”生”を感じ、惹かれていきました。

 このオンライン勉強会を通して、岩手で踊られている金津流の鹿踊りの発祥が松森であるということを知り、とても驚きました。それまでそんな話を聞いたことがなかったからです。それもそのはず、安部さんが松森発祥だと突き止めたのは2004年、松森への初訪問は2011年ですから、私の上京前には知る由もありません。千田さん・曽和さんとのミーティングを重ね、松森の歴史を探っていくなかで、荒浜の漁師が松森の松を目印に漁から戻っていたということや、昔は鶴ヶ城跡一帯で軍事訓練がなされていたことなど、自分が育った地元を学び直すプロセスを通して、驚きとともに時空を超えて歴史 ロマンが広がっていくような、不思議な感覚にとらわれました。今の松森、鶴が丘からはとても想像がつかないような地域だったのではないだろうかということに、思いを馳せています。

 安部さんや小岩さんのお話を通じて、「伝承」、形のないものを伝えていくとはどういうことなのか、もっと知りたくなりました。そして、松森で踊られていたという鹿踊りについて、さらにわかってきた時、今の松森小の子どもたちに伝えていくお手伝いができたら…そんな夢を見始めています。

現在の鶴が丘団地 (2021年1月) 


 

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