三匹が行く

〜金津流石関獅子躍の生まれたところと、今、躍ること〜  ⑧コロナ禍の冬に考えたこと〈エッセイ2〉

千田祥子

 2020年は、新型コロナウイルス感染症の流行により、人の多く集まるイベントが悉く中止されていった一年でした。ここ数年、季節ごとの各地の祭りや、郷土芸能奉納を訪ね、友人たちとその土地の旬をいただくことが、生活の一部、日々の楽しみとなっていた私には、本当に寂しく物足りない一年でした。

 とはいえ、その最中にも工夫をしながら、お祭りをされる地域もありました。その様子を新聞や友人たちのSNSで知りながら、祭りや稽古を続けていく、ということや、これまで遠くから訪ねていた「観光客」「ファン」であった自分自身についても、改めて考える時間ができました。

 その中でこの「オンライン芸能村」を知り、仲間を得て、これまでも親しくさせていただいていた伝承者のお二人に、改めてじっくりお話を伺う機会が持てました。

 日本全国に共通した人口減少、高齢過疎化の流れ。10年前の東日本大震災によって、東北はよりそのスピードが早回しになりました。「郷土芸能を今のまま残していくことは難しい。それでも、意識は残していけるのでは。」お二人の口をついて出た言葉は、心に重く響きました。何を思い、何を大事にし、誰に向かって祈り踊ってきたのか。継承するということ、それは、関わる全ての人が、その芸能がここまで伝えられてきたこと、全てへの「感謝」を、この先も忘れずにいられるかどうかに、かかっているのではないでしょうか。

熊野神社参道入口 (2015年4月29日)

 またある時、4歳になる姪が、私が毎日体温を記録する、表紙と栞つきのきれいなメモノートを「これ、聖書なの」と大事そうに、にこにこ手に取りました(彼女はまだ、字がちゃんとは読めません)。保育園の先生たちが、大切に扱うのをいつも目にしている聖書。きれいな表紙の小さな本は、彼女にとってその聖書と同じに「なにか大事なもの」と目に映ったようです。みんなと礼拝で歌う短い讃美歌を、不意にハナウタで聴かせてくれることもあります。暦に定められた祝祭日の”礼拝を守ること”を、先生方は園のブログにもよく報告されており、礼拝を”守る”という言い方をするんだ、と初めて知りました。そうした園での日常の積み重ねが、彼女の中に信仰心を育んでいくのだな、と傍で興味深く見守っています。

 祭りを守ること、郷土芸能を継承していくことも、目の前でその祭り・芸能への思いをどう顕すか、その姿やその場の空気を、次の世代にどう見せ、伝えていくか、そしてそれを、どう受け取るか。その一人ひとり、一瞬一瞬にかかっているのだろうな、と、お二人の話を聞き、目の前の姪の笑顔を見ながら、共通するものを感じた冬でした。


 

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