三匹が行く

〜金津流石関獅子躍の生まれたところと、今、躍ること〜  ⑦神事芸能としての意識                Attitude as a performing art dedicated to the gods     〈インタビュー4〉

頭というのは神様仏様の仮の姿、頭そのものが神様だからちゃんと大事にしましょうと。

The headgear is a provisional form for divine entities. The headgear itself becomes a god.

 Therefore, let’s treat it with respect. 


小岩 特に鹿踊りの中でも金津流さんは、神事芸能として踊るという意識を、ちゃんと段取りを持って踊り手の内に育てていく。それを、今も守ってるんですよね。もう一つは、シシ頭を大事にしている。「頭というのは神様仏様の仮の姿、頭そのものが神様だから、ちゃんと大事にしましょう」と。お札(ふだ)みたいなものですね。そうすると「パフォーマンスとして踊ってもいいけれど、少なくともシシ頭は神様だから大事にしようね」となる。そこに戻ってくる意識が、ちゃんと踊らないといけないな、という気にさせてるんだろうなと思います。今も、靖さんの後ろにシシ頭があるんですけど、それは縦糸横糸合同会社の仙台の事務所に舞川から持参したシシ頭を置いていて、普段はほとんど僕ら事務所にいないはずなのに、そんなところに置いていて(苦笑)。神様仏様がそこに込められてることを考えれば、適当に扱うことはできないはずなのに。そこがうち(行山流舞川鹿子躍)や多くの鹿踊り団体からは、もう抜けてしまったところで、本当はそこに、民俗芸能がつなぎとめている“何か”があるんだと思います。

千田 シシ頭の扱いについて決められていることは、例えばどんなことですか?

安部 基本的には「シシ頭を跨いではいけない」と、師匠に言われましたね。あくまで神様なんであり得ない。あとは道具を投げたり、落としてはいけない。「跨いだら、お前は踊り手失格だ」と指導されました。うちの伝書の中には、使わないときは箱にしまいなさい、と書いてあります。

千田 「踊り始め」と「踊り納め」の儀式は、今はどのようにされているんですか?

安部 私たちの代の頃は、「踊り納め」は、まず一回踊りをするんですよ。それからシシ頭を神棚に奉って、ありがとうございました、という儀式を歌と太鼓でやります。「踊り始め」の時は、最初にシシ頭を奉って、これから踊らせていただきますよという儀式をしてから、まず最初の踊りをしていた。でも、今の代の弟子たちはそういうスペースもないということもあるけれど、そういった踊りはしていないです。

小岩 舞川では、やっていません。庭元制を昭和の30年代でやめてしまって、保存会に切り替えたので、いわゆる儀式的なものはやらなくなったんですね。戦後は、地域のために頑張らないといけなかった。そして鹿踊りは岩手を代表するものだから、観光PRに活かしていきましょうと、県外で披露する機会が作られていった。その中で、信仰や神事のため、といった儀式はおろそかになっていったのだと思います。金津流や鬼剣舞(おにけんばい)は、観光的な視点で舞台に出るということも一生懸命にやっている。一方で、ちゃんとお盆の時にはお墓での供養とか、神事奉納もしている。あと岩手県北上市の「みちのく芸能祭り」。60年続く観光の祭りなんだけれど、芸能のことを広く皆さんに知ってもらうための祭り。(受け継がれてきた)意識はある。儀式もどちらもちゃんとやっていきます、と。舞川がある一関は、その辺がやっぱり都会である仙台に近くて、目立つことや観光的なことをやろうという感じに行ったんだけれど、少なくとも私が東京鹿踊を作ったり、郷土芸能の世界に足を踏み入れたからには、そういった儀式とか歌とかも、ちゃんとやっていきたいので、知っているなりのことをやろうねという方向で、ここ10年くらいきました。

千田 年の始めと終わりに、そういう場を持つ。それは、どういう必要性を感じてでしょうね。

安部 やっぱり神事から娯楽芸能に変わるあたりに、ちゃんと儀式を守ろうねという考え方があったんだと思う。

小岩 あと、うるさい人がいたわけですよ。「ちゃんとやりなさいよ」という”うるさいおじいさん”(役)がいたんですよ。だから、これからは、靖さんが、みんなにとってそういう存在になっていく必要があるわけですよ。

一同 (笑)


 

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