山村の芸能

プロローグ (1)

 高知県境近い徳島県那賀町の木頭北川地区・北川八幡神社には、山深い地域でありながら堅牢な造りの農村舞台が残されている。
「昔は自分たちで楽団を作って宮の舞台で披露した」
「素人芝居を見るために火鉢を持っていって場所取りをした」
80歳以上の世代が持つ農村舞台での共通の記憶である。

 それらは山村の厳しい労働の合間の貴重な娯楽のひとつだったのだろうと想像するが、当時どんな社会背景や暮らしがあって育ったものなのだろう。かつての娯楽の形、山村での芸能の歴史を考えることで、限界集落と言われる現在と比較し何が変わって何が変わっていないのかを知りたいと思った。

 1249ページに渡って歴史、産業、政治、経済、文化などを網羅した「木頭村誌(1961年発行)」を調べてみたところ、芸能・芸術に関してはたった1ページしか割かれていない。しかも「苦しい山稼の生活にゆとりのなかったせいか、本村には芸術としてとりあえるようなものは何も育っていない」とあり、特筆すべき内容のものではなかったのかもしれない。

 しかしながら、じいやばあたちが鮮やかに思い出す芸能のシーンがある。山村で芸能が育つ素地について検証しながら、いったいそれらはそれぞれのライフストーリーでどう位置付けられているのか、村誌には記録されない一人一人の記憶を辿りながら考えてみたい。

2017年 北川八幡神社農村舞台公演にて

(文章・写真 / 玄番真紀子)

参照:北川八幡神社農村舞台 https://nousonbutai.com/butai/d-41.html (阿波の農村舞台データベースより)