山村の芸能

「あのころが青春時代かのう」 (4)

 「もう70年以上も前のことで忘れてしもたわ」と言うヤスコさんに、日当たりの良い縁側で写真を見てもらった。北川八幡神社の馬場で敗戦後1948年2月に撮られた、芝居の役者たちの集合写真。 「ここには私は写っとらんわ。私は芝居して1年してから結婚したんよ」  15歳だったヤスコさんは1年だけ芝居をして16歳で高知の叔母のところに習い事に行き、村に戻ってきて17歳で結婚した。相手は写真にも写っている当時青年団の代表をしていたイクハルさんだ。写真は芝居を始めて2年目以降のもののようだ。

ヤスコさんに聞く2020.12月 撮影 / げんばほのか

「(芝居をした時は)着物もなかったけん、母の長襦袢を着て芝居したんよ。なんじゃない時代じゃった。私はお姫さん役で、桜を見て『きれいな桜ですね』とか言うて、ほこへ悪者が来て『あれ〜』とか言うて、助けに来る人がおっての」

忘れていたはずの記憶がひとつひとつ思い出される。

 8歳の頃から鎌を持って田んぼや畑の畦の草を刈り、用水普請では赤土を背負って運び土を叩きつけて直し、五右衛門風呂は泉まで水を汲みに行き、1週間に1度風呂に入ればいい方で、冬の履物はあしなか(藁草履の半分くらいの長さのもの)で冷たくて足はひび割れた。  結婚してからも田んぼと畑を舅と二人でこなし、仕事ばかりの日々だった。 「(夫のイクハルさんは)郵便局に勤めとったけん百姓はしとらん。結婚してからも楽団や写真とかカメラとか、なんでも先行かな好かん人やったんよ。写真ばっかりあっちこっち撮りに行っとったわ」。  先の写真は、幾治さんが撮りためた写真のなかの1枚のようだ。
「はようお嫁に行ったんで青春時代はなかったんよ、ははは」と笑う。
「けんど、芝居をしたあのころが青春時代かのう」

 昼間は誰もが田んぼや畑で忙しく明るいうちに集まることは無かったが、夜は芝居の練習に行っても親に止められることはなかったという。

 「(ケイタロウさんのお連れ合いの)トミねえといっしょによう歌もうたったよ。『めんないちどりのたかしまだ〜♪』っていう、ほれ。トミねえは一級上。友達やったんよ、家も近かったけん。昼は忙しくて会えんけん、夜に出てきてあすこの上の田んぼの畦にもたれて歌うたいよったわ。歌聞いて近くのイワにいが上がってきてな。イワにいは同級生やったんよ、ほんで3人でうたったりして」。 ヤスコさんの顔がぱっと華やぐ。  芝居や歌、楽団の演奏を披露するのは農閑期。寒い季節だったという。

「あのころが青春時代かのう」と笑うヤスコさん 2020年12月 撮影/げんばほのか

「宮の舞台で夜にな、昼間仕事してから。見る人は家族みんなの分のお寿司とか作って持っていて、お酒も飲んだりして。今思うと昔はいろいろあって楽しかったな。今はテレビでもなんでもあるけんど、家でそれぞれじゃ」

 役者も観客も集落の人たち。今、集落のすべての世代で盛り上がり楽しめることはないという。今とはなにが違うのか。役者の側だったケイタロウさんやヤスコさんの姿を子どもの頃に見ていたというヒロエさんに話を聞いた。

(文章・玄番真紀子)