山村の芸能

村での「芸能」の役割 (7)

 今回、各世代にお話をお聞きする中で感じたことがあった。

 それは、芸能について質問していてもいつしか話はその周辺部分になっていったことだ。ヒロエさんの芝居見物の記憶がおいしい大根飯と結びついていたように、それぞれの日々の暮らしが同時に思い出されるようだった。

「秋の祭りのときはここにも店がずらーっと並んどった。あの頃は人がようけおったのう」

「10円もらって飴玉買いにいって、紙の袋に入れてもらった」

「雨が降らん時、宮で雨乞いしたこともあったな」

数人で話し始めると、この地での同じ時代の共通の記憶がそこにあった。

 1946年の南海地震の話にもなり、当時家の中は危ないと数日外で野宿したと誰かが言うと、「ほうじゃったな、あの時はなあ・・・」と話が続いた。

 農作業や、家を建てたり屋根を葺き替えたりといった生活のかなりの部分を、「てまがい」と呼ばれる「結」を通して助け合って暮らしていた地域において、コミュニティの歴史はそのまま一人ひとりの歴史につながっている。

 そしてまたお互いの断片的な記憶が、「昔はなあ」と思い出す会話の中でひとつひとつが繋がって、コミュニティの歴史をそれぞれの記憶の中で完成させていく。

 戦争が終わり命の開放感を得られた時代、この小さな山村では「芸能」といういわゆる非日常を通して人々はつながりを確認した。それは独自のものではなくしかも長く続いたわけではない。しかしながらその時代に必要とされ、日常と重なりながら鮮やかに彩られて記憶され、ライフストーリーの一場面として、今もこの地に助け合って生きる心の糧となっているのではないだろうか。