山村の芸能

番外編 (9)

皆で舞台を準備する

 この山間僻地に移り住んで23年目になる。思えば、過疎といわれながらもその当時は今よりもっと人がいて賑やかだった。年々人が減り、地域の年中行事は簡略化され、それでもなんとか道普請や水(いで)普請、夏と秋の祭りのときは今も集まって共同作業を続けている。じわじわと訪れる変化は住んでいると見えにくく、何年ぶりかに再訪する人に失くなったものを惜しまれて、はっと気がつくことが多い。

 当初村の「芸能」について調べるにあたって、プロの人形遣いである勘緑さん(「時代に必要とされる芸能(8)」参照)にスポットをあてて、地域住民との関わりや各地の民俗芸能が交わる場として農村舞台を取り上げようと考えていた。というのは、プロローグにもあるようにこの地域には独自の、または長く続く芸能が育っていないことから、「芸能」というのに一番ふさわしいのが勘緑さんだと思ったからだ。

 しかしながら、このコロナ禍遠方からの移動や実演、取材は極めて難しいことなどが予想され、講師の方から地域の素人楽団や村芝居を掘り下げて取材し、その様子をブログ形式でアップしていったらどうかと提案していただいた。

 戦後村の若者たちが集まって披露した舞台は、「民俗芸能」というジャンルではないどころか、「芸能」と呼べるものなのかもわからない。取材していくなかで仮説は早々に覆されたり、最後までこれでいいのかなと不安に思ったりしながら、それでもパズルのピースがひとつひとつ埋められていくように情景が浮かび上がってくると、時代の記憶としてとても意味のあることのように思えてきた。

 芸能を民俗と捉えるならばその時代に応じて変化したり消えたりしていくものであり、アートと捉えるならばその芸術性を残していくための別の作業が必要になるのだと思う。また故郷を離れて(追われて)住む人たちのアイデンティティーを確かめるもの、逆にそこのコミュニティに受け入れられるツールとしての役割も大きいことを思うと、各地の民俗芸能が消えつつあるいま、そこに何が求められているのかをじっくり考えてみる時間を作りたい。

 取材については、普段からつながりのある地域の方々であったことから、いつものように自然にお話しいただけた。ひとつのテーマを掘り下げて複数人からお聞きすると、それぞれの記憶違いも修正されながら、私自身の思い込みも大いにあったことがわかった。

 村誌に載らないような個人の記憶であっても、のちの世に民の力で再びなにかを始めるきっかけになる。そのために一人でも受け継ぐことや語り継ぐことが大切で、それは必ずしも地元の人に限らないのではないかと思う。気づいた人がなにかしら動いてみて、その時代に必要とされれば、大きな流れになっていくのではないだろうか。

(文章・玄番真紀子)

農村舞台公演2017年