山村の芸能

おいしい記憶と戦後の開放感 (5)

「子どもらが朝、むしろを広げて席をとっといてから学校行く。弁当持ってって、中入れっちゅうたらみんなで弁当食べるんよ。学校の先生も、場所とっといてくれよとか言われて」

 ヒデコさん(80歳)も子どもの頃の記憶としてある、北川八幡神社農村舞台での芸能披露はいつも夜。昼間は山や田畑でしごとをしてから、一家総出で芝居を見に行くのだという。弁当は多くが大根飯と呼ばれるもので、大根を甘辛く炊いたものを具として柚子の果汁で酢飯にしたばら寿しのようなもの。

 「(大根飯に)こんにゃくも入れたこともあって、こんにゃくは滅多にこっさえなんだけん、炊いてすぐ食うてしもて叱られたわ」とヒロエさん(83歳)は笑う。

 こんにゃく芋からこんにゃくを作るのはとても手間がかかるので、食べるのは正月や節分などに限られる。芝居が演じられるのは農閑期の冬。大根もこんにゃくもちょうど旬の季節である。かつての風景には必ず季節のおいしい記憶がついてくる。

 戦争でビルマに出兵したヒロエさんの兄も、九死に一生を得てちょうど戦地から戻ってきた頃である。連絡もなく、帰ってくると思っていなかった兄がある日玄関に立っていた。「泣き崩れて喜んだ母の後ろでヒロエはじっとこっちを見ていた。小さいときに戦地に出向いた兄の顔を覚えておらず、汚れた姿でいったい誰じゃと思ったんじゃろう」と、今は亡き兄の菊秋さんが笑って話していたことを思い出した。
「確か兄がもう戻ってきとって、一緒に観にいったと思うぜぇ」

 当時10歳前後だったヒロエさんに写真を何枚か見てもらうと、「これはケイ兄、これはジュンちゃん、これはゲン兄の妹、これはトミ兄のおばさん」と写っているメンバーのほとんどすべての確かな記憶で言い当てた。話していると近所のサトエさん(70歳)がやってきて写真判定に参加。「これはナミねえのお母さん、これはキイねえ。みんな今も面影あるもんの」。年代が違ってもみなが共通の話題、そして共通の記憶。

「ああ、これはうちのじいさんじゃないか」 

ヒロエさんのお連れ合いの進さんも写っていた。

写真を見るヒロエさん2020年12月 撮影 / げんばほのか

 母体が青年団であるからには、みなが若くて結婚前。「このシ(人)とこのシ、このシとこのシ、このシとこのシも・・・」。ヒロエさんが次々と指を差す。写真に写っているメンバーだけで何組も結婚したようだ。楽団や芝居は婚活の場というのは言い過ぎだとしても、娯楽の少なかった当時若い人たちのエネルギー発散の場であり、戦後の開放感のなか熱狂する格好の機会だったのではないだろうか。

 ただ一枚、ヒロエさんもサトエさんもそれが誰だかわからない写真があった。着物を着てカツラをかぶった二人が、きれいに化粧も施して北川八幡神社の馬場で並んで写っている。最年長女優のヤスコさんに聞いてもわからない。外から来た旅芸人なのか、いやいやその当時は戦後の混乱でどこもそんな余裕はなく、他所からの芝居は来なかったはずだと、誰もが謎の一枚となった。いったいこれは誰なのだろう。

(文章・玄番真紀子)