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【教員インタビューシリーズ】 第2回 坂本和彦講師

坂本和彦講師(指揮)

(東京音楽大学 指揮卒業)

 

1月末の南房総・君津市郊外。外は冷たい雨が降りしきるが、君津市民文化ホールは熱気に包まれていた。君津市主催の年1回、市民に音楽に親しんでもらう「きみつ 水と緑のコンサート」が開催された。オープニングは本学の卒業生・学生で8割を構成する「としまユングオーケストラ」による『威風堂々』。続いて、同じく本学の学生、坂田優咲さんがはじめて指揮をすることとなった『フィンランディア』で会場は感動の渦。出演はほかに、君津市の少年少女合唱団(きみつ少年少女合唱団)、市民合唱団(きみつ水と緑の合唱団)と毎年合同で賛助出演している足立区民合唱団へと続き、市民の歌『きみぴょん音頭』で会場は大合唱…まさに市民による市民のための音楽の祭典であった。

 

会場を盛り上げる温かみのあるトークで司会進行をしたのは、音楽監督兼指揮者の坂本和彦先生。君津市出身で、このコンサートの生みの親でもある。各地で行政と連携し地域と一体となってみんなが楽しめるコンサートを多数手掛けてきた。先生を突き動かす原点はなにか、長年の取り組みを伺いました。

 
 

■ 少年赤十字隊への入隊が転機に

 

私は5歳から小6まで、人前に出ると口を開けても声が出てこないような子どもでした。仕方なく母親が週3日、片道2時間の電車を乗り継いで、千葉の有名なメンタルケアの先生の所に連れてってくれていました。両親、小学校の先生のすすめもあり、少年赤十字隊(JRC)に入隊したんです。それが転機となりました。赤十字隊の活動をとおして障がいをもった人たちと接し、国籍、宗教、社会的地位など関係なくみんな平等であるということと、助け合って奉仕する大切さを学びました。そこでの経験が僕の以降の人生に非常に大きな意味をもちました。

 
■ 社会福祉に興味あってスイスに留学
 

大学在学中に、三石精一先生に留学をすすめられ、小学校から憧れだった赤十字を設立したアンリ・デュナンの故郷のスイスに行けるようになった時はうれしかったですね。丹羽正明先生がチューリッヒ音楽院のエーゲルマン先生を紹介してくださったんです。本当を言うと、留学の動機は、音楽よりもスイスの社会福祉、老人ホームを見たかったんです(笑)。チューリッヒに滞在した4年半は、エーゲルマン先生のもとで個人レッスンを受け、後にチューリッヒ歌劇場の総監督のF・ライトナーに師事し、副指揮者(研究員)をやりながら、一方で福祉活動もしていました。

 
■ 老人ホームでドイツ語を習得
 

ある朝、チューリッヒ湖の淵に腰を下ろしていたら、突然後ろからシェパード犬に吠えられて、湖に落ちてしまったんです。飼い主は近くの老人ホームに住んでいたかわいらしいおばあちゃんでした。日本からの留学生ということを話したら、お詫びもかねてと、お宅に招待してくれました。2DKのとてもきれいな老人ホームで、それから時々その老人ホームにお邪魔するようになりました。そこにお住いのご年配の方々はみなさんゆっくりお話されるので、老人ホームはドイツ語を習うのにうってつけの環境でした…お金もかからない(笑)。

 

結局語学学校には行かずそこでドイツ語を覚えました。スイスでは社会全体が助け合いの精神に満ちていて、収入の約半分が税金として徴収され(当時)、そのためか福祉が充実しています。自分で生活できる間は自力で、助けが必要な人だけが、こうした施設を利用するので、歳をとっても、みなさん希望どおりに快適な環境で暮らせるんです。

 

昨年ジュネーブでの演奏会の時、アンリ・デュナンのひ孫にあたる方ともお会いできました。彼いわく、「重度の障がい者と接しても、決して同情してはいけない。健常者との違いを見せてほしいと伝えることが大事」と(JRCにいた時と同じ言葉です)。何十年たっても大いに気づかされる言葉でした。スイス留学を経て、改めて音楽と並行して社会活動を続けていきたいと思うようになりました。

 

■ 「としまユングオーケストラ」結成

 

当時ヨーロッパでは、音楽家(指揮者)として大成していく過程は、まず劇場でのピアノ伴奏からはじまり、副指揮者になってマエストロ(正指揮者)になっていくというのが多く、私はどうかというと、かつて人前で声が出なかった時でも、なぜか歌う時だけはちゃんと声を出せていました。その経緯もあって、オーケストラよりも、歌、オペラの指揮の方に興味が向いていました。

 

近年学生のなかには(私の指揮法の授業を受講して)、学外でオーケストラの一員として演奏をしてみたい、歌ってみたいという方が結構います。実際問題、若い人たちが卒業してすぐ2、3年は演奏する機会はそうそうない。私は豊島区の「としま未来文化財団」の音楽監督をやらせていただいています。そのご縁から、「豊島区の演奏会で機会を与えたらどうですか」ということを財団から提案いただき、生まれたのが「としまユングオーケストラ」でした。

 

大学の先生のなかには、「どんどんやりなさい。学校でレッスンを30分やるより、どこでもいい、本番で緊張して弾く方が100倍勉強になる」とおっしゃる先生もいます。今では現役の学生も加わって(もちろん師事している先生の許可のもとに)約140人がメンバーとして登録しています。ちなみに、現役・卒業生問わず出演料を主催者からお支払いしていただいていますよ。対価を払うことで仕事としての意識を高めてほしいからです。
「としまユングオーケストラ」のメンバーの何人かは、「G・Dream21」というレディースオーケストラのメンバーとしても活動しています。

 
■ 二流の中の一流、三流の中の一流でもいい
 

音楽の世界で一流の一流になれるのはほんのひと握り。一流の中の一流はすばらしいことですが、言い方は悪いかもしれませんが、二流の中の一流、三流の中の一流でも、自分に合った範囲で、音楽をとおして自分にできることで人を楽しませ、感動を届ける人生を送ることもすばらしいことだと思います。好きなこと、求めようとしていることを一所懸命やっていれば、誰かが見ていてくれて次の演奏会等のオファーにつながることもあると思います。音楽活動においても、人脈づくり、人との付き合い方はとても大事なんです。

 
■ 大学は自分をみつける場所

 

「としまユングオーケストラ」では、現役の学生が現在30歳前後の先輩たちもいるなかに入って演奏しています。在学中にこの世界で活動している先輩たちと知り合い、今後のパイプ作りはもちろんですが、多少迷惑をかけることがあっても、「ごめんなさい、まだ勉強中の身です」と、許される面もあって(甘いかもしれませんが)、それが勉強にもなると思います。でも卒業したら一人前のアーティストとして見られるので、そうはいかない。僕自身が劣等生だったから、よくわかるんです。

 

大学は、自分のもっているものを人に迷惑をかけないで見つけていく場所だという気がするんですよね。2年生から3年生にかけて、特に迷う時期だと思うんです。よく「音楽事務所に入るためにはどうすればいいのか」と聞かれたりしますが、やりたいことがあったらまずはトライしてみたらいいと思う。大学にいる間は周りも大事にしてくれる、でも卒業後はそうはいかない。だから苦しむ子も多い。学生の間から外にも目を向けて自分でどんどんチャレンジしてみるといい。僕にできることはほんの少しで限られていますが、少しでも力になれればと…。

 

■ 「オーケストラを振ってみたい」坂田くんの夢を叶えてあげたくて

 

本学で学ぶ全盲の坂田優咲さん(3年 ホルン)もそうです。「オーケストラを振ってみたい」という彼のひと言を聞いて、なんとかその夢を叶えてあげたいなと思いました。そこで思いついたのが、私の故郷の君津市で12年前から続けている今回のコンサートへの出演でした。市の方々は快く応じてくれて、企画が実現できました。本当にすばらしい指揮でした。本番後、団員が市のバスで帰ったあとも、彼はひとりでレセプションに残って市長にお礼を伝えたそうです。市の関係者のみなさんがとても喜んで、「あの子はすごいね」とほめてくれていました。こうやって次の演奏につながっていくんだと思います。

 

彼が指揮したあのコンサートに感動しなかった人はいない。みんな、彼から幸せをもらったと思いますね。彼には、目が不自由であっても、耳で「見る」ということを話しています。それは耳を傾けて人の心を感じることと同じくらい大事なことだと思います。

 

全盲の坂田くんも、音楽をやるのに耳があれば十分。彼は目が見えなくても「耳で見る」ことができる人だと思います。自分が10のことを話したかったら人の意見を100聞く。坂田くんにはそれができるんです。来年も指揮の勉強を続けたいと言われ、可能ならばできる限りのことをしてあげたいと思っています。

 


(ステージ脇で坂田優咲さんの指揮を見守る坂本先生)

 

■ 年代やジャンルを越えて心がひとつになるコンサートを

 

さて彼が指揮をした君津市のコンサートは今年で12年目になりますが、今までに君津市内の幼稚園、小学校、中学校の園歌や校歌を毎回の演奏会でオーケストラに編曲して生徒たちと演奏したり、年代やジャンルを越えて、心をひとつにし夢を叶えるようなコンサートが少しでもできるよう考えています。来年は新作のオペラをやりたいと考えていますよ。君津市のほかに、私は合唱(歌)をとおして、豊島区、足立区、港区など、地方では岐阜、富山、鹿児島などでも行政と連携したコンサートに携わっています。

 

行政などが固定の団員(組織)をもたずに、毎年公募でメンバーを募ることにしていることは、大きな団体(組織)に影響されずに、その地域の小規模な演奏団体もしっかり自分たちの団(組織)を継続してほしいと思うからです。そこに集まる方々は、肩書に関係なく特別扱いは一切しないで、ただ音楽を楽しんでいただく…それが一番大事なことです。

 


(きみつ 水と緑のコンサート 市民の歌『きみぴょん音頭』を大合唱)

 

■ アマチュアもプロもともに“愛好者”、差はない

 

 アマチュアの語源はアモール、つまり“愛好家”という意味です。いわゆる“素人”という意味ではないんです。音楽を愛好することに、プロも、老若男女も関係ない。そこを大切にしたい。ただ音符のための音楽では味気がない。音楽は人間が人間のために作り上げたもの。競いあうのではなく、他人を認め、尊敬して助け合う(アンサンブル)ことが大事なんです。

 

“音符”ではなく、あくまで“音”。みんなが楽しむための音を出さないといけない。誰もが自分のなかで、みんなを楽しませるなにかがきっとあると思います。

 
 
 

(広報課員のつぶやき)
 コンサートの最後、市長のご挨拶と言って紹介された石井宏子市長は、驚いたことに合唱団のなかから登場。なんとずっと大勢のなかの一団員として出演されていたのです。「団員はその時限りの公募で集う」という坂本先生のまさに言葉どおり。ここでは年齢も肩書も関係なく、みんな平等に心をひとつにして音楽を楽しんでいる。「としまユングオーケストラ」のメンバーのほとんどが本学の卒業生。卒業後もこうして地域のみなさんと一緒になって音楽の喜びを味わえるこの活動の意義は大きい。幼い時から心に染み込んだ、平等、助け合いという赤十字の精神が、坂本先生の活動の根幹にしっかりと根付いています。二流の一流でいいと謙遜する先生ですが、音楽で人を励まし楽しませる一流の音楽家であることは言うまでもありません。ちなみに、今回のコンサートで坂田くんが指揮している間、先生はずっとステージの脇に立って見守っていました。なんとか無事に終わることを祈って、自分の指揮よりも緊張していたんだとか。