潜入レポート
東京音楽大学大学院オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」
2021年2月25日 池袋キャンパスA館100周年記念ホール
【ある広報課員のつぶやき】
コロナ禍の中、大学院オペラが無観客で上演された。1日目はオペラ研究領域2年生による「コジ・ファン・トゥッテ」。学生出演者は修士課程2年生の6人、全員女性。お相手の男性3人はプロの歌手による助演。伴奏は、ピアノとチェンバロ、指揮というシンプルなもの。まず驚いたのは、セットの簡素さ。大道具と言えるものは皆無。それどころか、椅子と机も普通に教室にあるもの。それに加えてひとりずつを区切るパーティションがコロナ禍での上演というすごい現実感を出している。衣装もオペラのイメージとほど遠く、きれいめなワンピースかツーピース。召使いだけが衣装で役柄がわかるが、他の登場人物は、衣装だけではなんの役かわからない普段着っぽいもの。
「あれ?大学院オペラってもっとセットや衣装が華やかじゃなかったっけ?」というのがまずの印象。
そしてはじまる。
びっくりしたのが、出演者の歌唱力。プロの歌手3人と互角に歌い合えるすばらしい声量、声質、発音と演技力。歌うだけでも大変そうな台詞を、演技もしながら歌いきる。
終わって、翌々日に上演される1年生による大学院オペラに出演する髙橋茉椰さん(修士課程1年)にちらっと感想を聞いてみた。目を輝かせて、「先輩たちすごい、パーティションが気にならないくらいおもしろかった」と言う。「来年は髙橋さんたちの番だね?」と言ったところ、「いや〜ちょっと、できるかな??」とやや不安気味。台詞を覚えるのも一苦労と思われる。
ところで大学院オペラのセットってこんな地味でしたっけ?と先輩職員に尋ねたところ、なんでも、数年前に声楽の先生方の意向により、学生のうちはセットや衣装に頼らないで、歌唱力を磨いた方がいいとなったそうで。言われてみれば、セットや衣装、伴奏までもがシンプルなので、出演者の歌唱力と演技力にひたすら集中して見られたと気づく。
それともうひとつ。歌唱力だけではない、所作や演技力。その一体化されたところに歌手の表現力の奥行きを見せてくれるだろうと思わされた。美しい声だけではなく、体すべてがその歌手だけの楽器となる。世界でただひとつの「己という楽器」を追求するところにオペラを学ぶ意味があるのかな?と思案しながら帰途についたのだった。
(広報課)