2019.10.21
2019年10月6日(日)に開催されたオープンキャンパスで、野島稔学長よりご参加の皆さまに向けて以下のメッセージをお送りいたしました。
その全文をご紹介します。
みなさん、こんにちは。オープンキャンパスにようこそいらっしゃいました。人間一人ひとり、環境や学んだプロセスなどは違いますけれど、私がどういうふうな教育で、どのようなことを思いながら勉強してきたのかを話していきます。
私は、両親が言うところによると3歳後半からピアノを始めたということですけれども、もちろん私はそのようなことは全然覚えておりません。ただ、なんとなく先生のところに習いに行ったということはおぼろげながら覚えております。
きっかけというのが、家にオルガンがあったらしいんですね。私は終戦の年に生まれましたので、3歳というとほとんどまだ復興し始めた頃ですかね、まだ戦後の傷跡が残っている頃の赤ん坊でしたので、オルガンがそこにあったということは珍しいことだったと思います。泣いている時にオルガンを聴かせると泣き止んだというので、私はたぶん音楽が好きなんじゃないかと両親が思って、先生につかせ始めたんじゃないかと思うんですよね。
5歳になった時に、藤沢の近くの鵠沼というところにいい先生がいると聞いて、そこに習いに行きました。この先生は当時非常に先端と言いますか、アメリカ帰りの先生で、ソルフェージュだとか聴音だとかを非常に熱心にやったということをはっきり覚えております。ピアノは、何を弾いたかというのは全然覚えてないんですけど、毎週行くたびにソルフェージュ、聴音というのを非常に熱をもって指導してくださいました。
7歳の時ですね、井口愛子先生というピアノの大先生に、いまや伝説的な存在ですけれども、紹介されて行きました。私は田舎のごく普通の少年でしたので、毎日毎日山をかけめぐってチャンバラごっこをして、近所の子ども達のガキ大将でした。うちの父は明治生まれですので、習い事はいい加減に勉強しちゃいけないっていうんで、非常に厳しいっていうところまではいきませんが、怠けることを許さなかったんですね。
で、今でいう学生コンクール、NHKと毎日新聞が主催しているところで優勝いたしまして、それとタイミングが合ったんでしょうかね、NHK交響楽団がハイドンのピアノ協奏曲を子どもに弾かせたいという企画がありまして、小学校5年生の時にNHK交響楽団と共演したんですね。
そのあと中学校にいきまして、いわゆる自我というものがでてきますね。今でも覚えていますけれど、常に自分の中で自分はどうなのか、どう感じるのかということを考え始めました。ピアノを弾いている時ですね。そして中学でも学生コンクールを受けたんですけれど、その時の課題曲が、非常に音楽的にすばらしい、シューマンの「ノヴェレッテ」でした。
シューマンは詩や文学に非常に影響を受けた作曲家です。「ノヴェレッテ」というのはある意味、子どもには理解が難しいような作品なんですけれど、それがなぜか課題曲になって、当時私は中学2年生でした。
それを勉強している時に、自分の中で音楽の内容がどうしても把握できない、自分の中の引き出しって言うんでしょうか、弾く時に自分の中に響く場所というのが見つからないというのを強く感じたんですね。で、やはりそれはとても鮮烈というんでしょうか、ある意味ショッキングなことで、どう弾いていいか分からない。自分の中を一所懸命見るわけですね、風景を見るように自分の中を見て、一所懸命自分なりにやるんですけれど…考えてもみますと、自分の中を見つめるという作業はそれが今でもずっと続いています。
ひとつそのようなことを経験して、実際きちんと弾きまして、優勝したんですけど、結局その時うまくいかなかったと自分の中で思ったこと、これが後で考えてみますと、非常に自分の栄養になっていることに気がつきます。なんにでも、自分ができたとその場で思ってしまうので、スムーズにいったことは自分の中ですぐに忘れてしまうんですね。自分ができなかったことというのは、なんで自分ができなかったのか、自分の中のどこが足りなかったのかということを、今に至るまで探し続けています。
年をとりますと、いろんなレパートリーを手がけていきますね。たとえば高等学校へ行ったときに手がける作品というのはより複雑になって、感覚の成熟度が求められる作品になってくる。その段階段階ごとに、自分の中にあるものを見つめざるを得ない。そういう作業は演奏家になってからも続くわけですね。
私が本学の学長になった時に、職員や先生たちの前でお話をしたことは、いわゆるリベラルアーツと音楽というものはそれぞれ別個なものではなくて、人間の存在そのものを包括したもので、しかもそれは生きているものです。それを十分に表現するためには、自分の中に十分な蓄えがないと実現できない。私は今でも実感しております。
だから音楽を勉強するということは、いい音で弾くとか、しっかり弾くとか、完璧に音符を弾きこなすといったことではなくて、音楽の内容というのを自分なりにどれだけ理解できるか、たとえ自分がそれを弾きこなせない、人前で弾くというところまでは鮮やかに弾けないにしろ、それを自分の中で楽曲の内容が自分の心のどの部分、どの引き出しに照らし合わせたらいいのかということを学べるきっかけをここで掴むということです。
年齢的にも思うのが、16歳から21、22歳くらいというのは、一度にいろんなものが入ってきますね。日々いろんな体験をして、染み込ませていくわけですけれど、これだけ鮮烈な感覚をもって自分の中に染み込ませるという時期はほかに無いわけですね。ですからそのような体験や経験をここで実際に行えるような教育を、私はこの東京音楽大学で実現したいと思っていて、先生や職員といつも話し合いながらすすめております。
みなさんがどの道を行くかは一人ひとり違いますが、学ぶ以上、このようなことを少しでも心に留めていただいて、ぜひこれからも音楽からいろいろな栄養を取り入れていただきたいと思います。