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【音楽学のススメ】第4回 村田千尋教授「歴史に正解はあるのでしょうか?~その1」

第4回 村田千尋教授

「歴史に正解はあるのでしょうか?~その1」

 

さまざまな観点から音楽を考察する「音楽学」。新シリーズ「音楽学のススメ」では4名の専任教員に執筆を依頼しました。皆さんの音楽学習に役立つおもしろい「ネタ」を発信していただけることでしょう。  
 

 こんなことを言うと、多くの人がビックリするでしょうね。歴史に正解がないのなら、あんなに必死になって覚えたことはなんだったのかと。でも、歴史にひとつだけの正解というものは存在しません。歴史は事実の羅列ではなく、事実を選択して整理したものですから、論じる人によって整理法が異なり、描かれた歴史も異なるのです。
 

 たとえば、モーツァルトは何曲の交響曲を作ったか、答えられますか?41曲と答えた人、よく知っていますね。確かに、彼の最後の交響曲、いわゆる《ジュピター》(1788年、KV551)は第41番と呼ばれます。でもこれは、19世紀末に出版された交響曲全集の楽譜に41曲しか載せられておらず、その最後だったから付けられた番号にすぎません。
 

 モーツァルトの時代では、交響曲というジャンルは演奏会を開催する時にその冒頭で、開演ベルのような役割をもって演奏されていたものなので、モーツァルトは彼が関わったすべての演奏会のために交響曲あるいはそれと類似する音楽を作っています。その数をすべて足すと少なく見積もっても70曲以上。ただ、その多くはほかのジャンル、オペラの序曲やセレナーデと呼ばれる管弦楽曲を編曲したものなので、先に挙げた交響曲全集には掲載されなかったのです。では、本当は何曲なのか?僕もわかりません。中断した曲や改訂を重ねた曲、他人の作品の編曲などもあり、間違ってモーツァルト作と考えられていた曲も混ざっているので、モーツァルトの専門的な研究者の間でも意見が割れています。

 

 どうしてこのようなことが起こるのかというと、「交響曲とは何か」ということに対する考え方に差があるからです。だから、歴史には唯一の正解などなく、論じる人によって異なることになるのです。授業であっても、歴史の中の何を重視するか、どのような見方をするかによって、違いが発生することになります。

 

 でも、だからこそ歴史がおもしろいとは思いませんか。さまざまな歴史上のできごとから自分の関心に沿って注目するべき事柄を選び出し、作曲家の、演奏者の、聴衆の思いを自由に想像してみるのです。モーツァルトになったつもりで、サリエリになったつもりで。この自由な発想から歴史の旅ははじまります。

 
【村田千尋教授プロフィール】
本学音楽学主任教授。東京大学文学部美学科、国立音楽大学大学院音楽学専攻で学び、弘前大学教育学部専任講師、北海道教育大学札幌校教授を経て現職。シューベルト、ライヒャルトを中心に、18・19世紀のドイツ・リートを研究すると共に音楽社会史、環境美学、近代日本音楽教育史などにも関心をもち、さらに、カリキュラムを構築する責任者として、大学における音楽の勉強方法、教育のあり方の研究にも長年携わってきました。