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【音楽学のススメ】第6回 村田千尋教授「歴史に正解はあるのでしょうか?~その2」

第6回 村田千尋教授
 

「歴史に正解はあるのでしょうか?~その2」
 

さまざまな観点から音楽を考察する「音楽学」。新シリーズ「音楽学のススメ」では4名の専任教員に執筆を依頼しました。皆さんの音楽学習に役立つおもしろい「ネタ」を発信していただけることでしょう。

 

前回、「モーツァルトが交響曲を何曲つくったか」という歴史事実でさえ、見方によって変わるとお話ししましたが、今日は日本史を例にとることにしましょう。
鎌倉幕府はいつ開かれたか言えますか?(1回目の時にお話ししたように、僕の歴史好きのはじまりは『うしわかまる』ですから、鎌倉幕府は興味の対象です)僕が子どもの頃は、「イ(1)イ(1)ク(9)ニ(2)ツクロウ鎌倉幕府1192年」と覚えていました。
では、1192年には何が起こったのでしょう。源頼朝が後鳥羽天皇によって征夷大将軍に任じられた年です。「幕府」を「天皇によって任じられた征夷大将軍が率いる武士の政権」と理解するのなら、確かに「1192年」で正解ですよね。でも実質は?

 

鎌倉幕府のはじまりを早く考える人は頼朝が鎌倉に居を構えた1180年とします。でも、この時はまだ全国支配は達成していなかったなあ。

 

幕府は侍所(1880)、問注所(1884)、政所(1191)の3つの役所によって形が整うのだから、3つが揃った1191年だろうか?政所の前身である公文所が設置された1184年とする意見もあります。

 

でも僕は「全国統一」ということを重視したいと思います。

 

鎌倉幕府は守護・地頭の組織をとおして全国支配を達成するのだから、その認可を得た1185年こそ鎌倉幕府の体制が完成した年ではないでしょうか。でも、各地の守護や地頭の支配権が本当に確立したのは?もっと調べないといけませんね。もっとも、1185年は壇ノ浦で平家が滅亡した年だということも大事です。

 

このようなわけで、専門家の間(僕は日本史の専門家ではありませんが)でも意見が異なり、ここに示した以外にもたくさんの説があります。

 

「鎌倉幕府のはじまり」という、「歴史事実」でさえ、このように見方の違いがあるのです。大事なのは、見方です。もちろん、歴史事実に基づかずに勝手なこと言っても無意味ですが、自分で自分の音楽史を組み上げるところにこそ、音楽史を学ぶ楽しさがあるのだと思います。

 

【村田千尋教授プロフィール】
本学音楽学主任教授。東京大学文学部美学科、国立音楽大学大学院音楽学専攻で学び、弘前大学教育学部専任講師、北海道教育大学札幌校教授を経て現職。シューベルト、ライヒャルトを中心に、18・19世紀のドイツ・リートを研究すると共に音楽社会史、環境美学、近代日本音楽教育史などにも関心をもち、さらに、カリキュラムを構築する責任者として、大学における音楽の勉強方法、教育のあり方の研究にも長年携わってきました。