さまざまな観点から音楽を考察する「音楽学」。シリーズ「音楽学のススメ」では4名の専任教員に執筆を依頼しました。皆さんの音楽学習に役立つおもしろい「ネタ」を発信していただけることでしょう。
鎌倉時代の話はまだ続きます。
もう一度鎌倉時代の話に戻りましょう。前々回、頼朝が全国に守護・地頭を配置する勅許を得た1885年こそ、鎌倉幕府のはじまりと考えるにふさわしいと述べましたが、今回はさらに見方を変えてみましょう。
美術史の世界から見ると。
慶派と呼ばれる仏師が作った写実的で力感あふれる仏像が鎌倉彫刻の特徴だとされています。東大寺南大門の運慶と快慶による金剛力士像を思い描いてください。
さて、慶派が総力をあげて関わった一大造営である京都の蓮華王院三十三間堂は1164年の創建(そうこん)であり、現在見られる仏像のどれだけが創建当時のものか議論もありますが、鎌倉幕府の設立よりも早く位置づけられます。そうすると、「政治的」な鎌倉時代よりも、「美術史上」の鎌倉時代の方が早く訪れたことになりますね。
宗教史から見ると。
「己(おのれ)を質(ただ)して道を拓(ひら)く」という考え方は武士道の基本ですが、禅宗の考え方にもつながるものです。鎌倉時代に武士の仏教として禅宗が信仰されたことと、民衆の救いとして浄土宗が広まったことは、この時代として当然のことだったと思います。そして、鎌倉時代(鎌倉幕府とは区別しましょう)を武家政治のはじまりとして捉えるのなら、禅宗の渡来はとても大きな意味をもちます。まさに栄西が臨済宗を伝えたのが1191年ですので、これは政治史の動きとほぼ一致しているということになるでしょう。
このように、政治と経済、文化、宗教も互いに関連しながら、必ずしも変革の時代が一致していない。この一致と不一致をどう説明するか、これも歴史学、特に文化史の大きな課題です。
こうしてますます、「何に注目するか」、「何を重視するか」という「見方」の問題が意味をもつのです。もちろん、「見方」が大事だとしても、歴史事実に基づかない勝手な考えは意味をもちません。そのバランスを考えることも音楽史の楽しさです。