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【教員インタビュー】木野雅之教授 ~ 私と「第九」

私と「第九」

木野雅之教授

(日本フィルハーモニー交響楽団ソロ・コンサートマスター)

 

日本に「第九」が伝来して100余年。コロナ禍とは言え、年末の風物詩と言えば「第九」という人気ぶりは不動そのもの。12月にさしかかると、日本各地でプロからアマチュアまでみんなで「第九」を歌い上げ、年を越す。幾多の苦悩を乗り越え、たどり着いたベートーヴェンの「歓喜の歌」に、心を震わされ勇気づけられる方は少なくないだろう。
日本フィルハーモニー交響楽団でソロ・コンサートマスターとして数百回もの「第九」演奏会をつくりあげてきた本学木野雅之教授に、あらためてその魅力について伺った。

 

年を重ねるほどに情熱と愛情があふれ出る

 

日フィルにはじめて入って、「第九」を弾いたのが30歳の時だったので、あれから28年ですね、毎年この曲を弾いています。昨年は小林研一郎先生指揮の演奏会にだけ乗っていますが、たいていは全公演に乗っていることもあり、多い時で年に14-5回くらい。かなりの回数ですね。「第九」は、言葉や宗教を越えて、音楽で心がひとつになれるというのが最大の魅力だと思います。世界中の人たちが知っていて、平和を祈らない人はいないのですから。
私自身、父親が武蔵野音楽大学声楽科出身という影響もあって、子どもの頃から「歌」に慣れ親しんで、「第九」は、演奏会を聴きに行ったりレコードを聴いたりするような環境のなかで育ちました。それをステージに立ち、自分で弾いてはじめて、音楽の壮大さや、みんなが一所懸命自分の技術と音楽性を発揮しながら作り上げるステージの迫力がわかったんです。(「第九」の演奏回数)を積み重ねていくと同時に自分も歳をとるわけですが、年を重ねるほどに、情熱と愛情があふれ出るのを感じますね。

 

新しい年に向かう原動力に

 

歳をとればとるほど1年があっという間に過ぎていくのですが、「第九」の季節になると、今年はどんなステージをつくろうかなとワクワクしてきます。1年間、いろんなコンサートで演奏してきて、その締めくくりに「第九」を演奏するわけですが、1楽章、2楽章、3楽章へと進んでいく楽章ごとに、いろんなことが思い出されます。
そして、いよいよ終楽章に入ると、今年もみんなで元気に演奏会ができてよかったという思いと、新しい年に向かう新たなエネルギーを蓄えていこうという原動力が沸いてくるのを感じます。正直、この2年間、コロナで合唱団が(半分くらいに)小さくなってしまって、皆さんにどういう風に聴こえているのかとちょっと心配していました。小林先生も、とにかく(オーケストラと合唱団の)バランスを気にされて、「演奏を抑えてくれ、もっと抑えてくれ」とおっしゃるんですね。いつも、苦しいなかでも、来たる年がいい年であるように思いを込めて演奏しています。

 

▲2021年12月21日サントリーホールでの日本フィルハーモニー交響楽団「第九」特別演奏会
 
一番の思い出は1999年のニューヨークのコンサートで弾いたセカンドヴァイオリン

 

1999年にニューヨークで世界中のオーケストラのコンサートマスターや首席奏者を集めてオーケストラをつくろうという企画があったんです。私は日本人で唯一これに参加しました。世界中のコンサートマスターが一堂に集う「第九」のミレニアムコンサートがエイブリー・フィッシャー・ホール開かれましたが、パートは、アルファベット順で決められ、私のイニシャルは「K」なので、セカンドヴァイオリンを弾くことになりました。
私個人、激しい2楽章が終わって3楽章の中間部にあるセカンドヴァイオリンのメロディがいつも美しくて、横で聞いていて羨ましいなと感じていたのですが、はじめてこのコンサートで弾いてみて、そのピュアなメロディに癒されて天にものぼるような気持ちになり、「ああ、いいメロディだなあ」と鳥肌が立ちましたね。

 

生の音から感じるもの

 

現代は便利になりすぎて、失われたものがたくさんあるように思います。クラシックにはその時代の匂いがあるんです。ベートーヴェンの時代は、舗装されていない道で、速いと言っても馬車くらいのスピード。演奏において、そのことを理解することが大事だと思うんですね。私自身、部屋を暗くして練習したりするのですが、それは余計なものが目に入らなくて集中できるから。ベートーヴェンが「第九」を作った時にすでに聴力が失われていたので、「耳栓をして練習してご覧」と奏者に言ってみたりします。そのことを理解できるかどうか。人の気持ちに寄り添いながら感じること。
やはり、コンサートホールで生の音を聴いて、会場と一体になって感じられるあの感動は、なにものにも代えられないと思います。

 
(広報課)