2026.03.18
東京音楽大学と学術協定を結ぶエコール・ノルマル音楽院(フランス)が主催する「フランス音楽ピアノ・アカデミー」。今年、東京音楽大学としてはじめて4名の学生が招待を受け、フランス音楽の本場で研鑽を積みました。そのうちの2名、大学院2年の岩田さんと清水さんに、現地での体験や学びについて伺いました。
―まず、フランス音楽ピアノ・アカデミーに参加しようと思ったきっかけを教えてください。
岩田さん:私はラヴェルの音楽作品をテーマに研究をしているのですが、もともとフランス音楽が大好きで。学内掲示板でアカデミーの案内を見た瞬間、「行きたいです!」と先生に伝えました。フランス音楽だけを対象としたプログラムと聞いて、迷う理由がなかったですね。
清水さん:私も大学院でダリウス・ミヨーというフランスの作曲家を研究しています。日本では情報が少ない作曲家なので、現地で直接学べるチャンスだと思いました。師事している石井克典先生からの勧めもあり、希望することにしました。

▲凱旋門の上から見たパリの街並み(写真提供:岩田さん)

▲日本からの受講生4人の写真(写真提供:清水さん)
― 今回は東京音大としても初の参加でしたね。どんなプログラムだったのでしょうか。
岩田さん:5日間で5人の先生に個人レッスンを受けるという、とても濃密なスケジュールでした。プログラム全体がフランス音楽に特化していて、受講曲もフランスの作曲家の作品に限定されています。私はすべてラヴェルの作品で臨みました。
清水さん:私もミヨーの作品を中心に準備しましたが、現地では突然「ドビュッシーを弾いてみて」と言われて。まさかの展開でしたが(笑)、前奏曲やエチュードを見ていただくこともあり、結果的にとても刺激的な経験になりました。教授によって教え方や解釈がまったく違って、どのレッスンも新鮮でした!

▲デイヴィッド・ライヴリー先生との写真(写真提供:清水さん)
― 教わる先生が毎日違うというのは、かなり刺激的ですね。印象に残ったレッスンはありますか。
岩田さん:最初のアンリ・バルダ先生のレッスンが忘れられません。先生が横でずっとピアノを弾きながら教えてくださるんですが、その発する音や佇まいすべてに、ただただ圧倒されました。芸術監督のジャン=フィリップ・コラール先生のレッスンも印象的でした。楽譜に忠実でありながら、表現の自由を大切にされる方で。「スタッカートひとつでも、跳ね上げるように弾いてごらん」とアドヴァイスをいただいた時は、音の変化に本当に驚きました。
清水さん:ミヨーの作品は多調を使っていて、音がぶつかりやすいんです。先生方は、その不協和音をどう美しく重ねるか、丁寧に教えてくださいました。真ん中のペダルを使って低音を保ったり、細かく踏み替えたり。ペダリングひとつとっても、学びの深さがあることを実感しました。
― 清水さんは、カンファレンス・コンサートにも出演されたそうですね。
清水さん:はい。フランソワーズ・ティナ先生がルーセルの作曲家について講義をされ、その中で4人の学生がそれぞれルーセルの作品を演奏するという形式のコンサートに参加しました。私はその一人として舞台に立ち、曲の構造や響きについて先生から具体的な助言を受けながら、音の表情を探っていく時間を過ごしました。講義と演奏が一体となった新しいスタイルのコンサートで、“知識として学んだ音楽”が舞台上で“生きた音”へと変わっていく。そんな瞬間に立ち会えたことが、何より印象に残っています。
― フランスという環境で実際にピアノを弾いてみて、日本との違いを感じることはありましたか?
清水さん:はい、最初の一音から「なにこの音!?」と思うほど違いました。エコール・ノルマルは貴族のサロンを改装した建物を活用していて、湿気がなく、音がとても透明に聞こえます。窓を開けてのレッスンも多く、音がまっすぐ空間に抜けていく感じでした。
岩田さん:私も同じです。日本のレッスン室とは響き方がまったく違って、音の立ち上がりや余韻の扱いを改めて考えさせられました。

▲エコールノルマル音楽院 入口(写真提供:清水さん)
― フランスと日本では、やはり教え方にも違いがありましたか?
岩田さん:大きく違うのは、常に「あなたはどう思う?」と問いかけられること。受け身ではなく、考える姿勢を育てられました。日本でお世話になっている先生方はもちろんすばらしく、日々多くの学びをいただいています。ただ、アカデミーで出会った先生方のご指導からは、作曲家たちが生きた国、その文化の中で生活されているからこそ感じ取れる感覚や価値観が、より直接的に伝わってきました。日本での学びの大切さを改めて認識すると同時に、実際に現地に身を置き、同じ空気を吸い、その文化の中で生きる人々から音楽だけでなく、人の文化そのものを学ぶことの重要さを強く感じるようになりました。
清水さん:日本では「聴き手を意識した完成度を重視する演奏」が求められることが多いですが、フランスでは「作曲家の意図をどう表現するか」に、より焦点を当てているように私は感じました。どちらも必要不可欠ですが、フランスでは比較的に“演奏家自身の解釈と思考力” を問われレッスンが進むように感じました。
― 世界各国から学生が集まっていたそうですね。マスタークラスの中で印象に残った学びや出会いはありましたか?
岩田さん:はい、中国、韓国、トルコ、イタリアなど多国籍の学生がいて、マスタークラスを聴くだけでも刺激的でした。同じ曲でも国によってまったく解釈が違って、「そう捉えるのか」と驚くことが多かったです。
清水さん:私はアンヌ・ケフェレック先生のマスタークラスが印象的でした。ドビュッシーやメシアンの作品を通して、“弾く技術の先にある芸術”を感じました。情景を音で描くというか、見えない世界を音で立ち上げる感覚。技術よりも表現の核心に触れた気がします。

▲サル・コルトーで行われたマスタークラスの写真(写真提供:清水さん)
― 音楽以外の文化体験も充実していたそうですね。
清水さん:マルモッタン・モネ美術館でモネの絵に囲まれながら演奏したことは、一生の思い出です。スタインウェイのピアノで弾くと、音が絵画に溶けていくようでした。実はこの演奏機会は、渡仏直前に急きょ案内されたもので、「弾きたい方はどうぞ」という自由参加の形でした。まさかそのような経験ができるとは思わず、当日は少し緊張しながらも現地の来館者の方々に聴いていただけて、心から楽しめました。
岩田さん:現地の学生と食事をしたり、美術館を巡ったりと、音楽以外の時間も豊かでした。そうそう、ちょっとしたハプニングもありました!駅で交通カードの買い方が分からず困っていたとき、警察の方が親切に声をかけてくださって、なんとパトカーで駅まで送ってくれたんです。道中も笑顔で案内してくれました。私は海外に行くこと自体が初めてでドキドキしていたのですが、勇気を出して尋ねてみたら助けてもらえた―そんな経験を通して、一歩踏み出すことの大切さを実感しました。

▲ミヨーの生地エクス=アン=プロヴァンス(写真提供:清水さん)

▲現地での食事風景(写真提供:清水さん)
― クロージングコンサートは、あのサル・コルトーで行われたとか。
清水さん:はい。ドビュッシーの『前奏曲集第1集』から「ミンストレル」を弾いたのですが、あのサル・コルトーの舞台に立てたこと自体が夢のようでした。響きがとても美しく、最初の低音がホール全体に広がっていく感覚が忘れられません。短い曲でしたが、その一音一音に心を込めて演奏しました。
岩田さん:私はラヴェルの『鏡』から第4曲「道化師の朝の歌」を演奏しました。サル・コルトーは名前を聞くだけで憧れを感じていた場所で、まさか自分がその舞台に立てるなんて…名誉すぎて恐ろしいほど緊張し、出番直前は手が震えてしまって(笑)。でも中間部に入る前の静寂部分で拍手が入り、思わず笑ってしまって緊張がふっと解けたんです。演奏後は先生方や他国の学生たちともシャンパンで乾杯し、インスタグラムを交換して、国を超えたつながりが生まれました。

▲アカデミー修了コンサート後(写真提供:岩田さん)
― 今回の体験を通じて、どんな変化がありましたか?
清水さん:留学したい気持ちがいっそう強くなりました。抽象的なアドヴァイスで音が変わる瞬間が何度もあり、イメージひとつで自分の音が変化する可能性を感じることができました。
岩田さん:言葉も文化も違う中で、自分で行動しないとなにもはじまらないと痛感しました。現地で感じた空気、光、音のすべてが演奏に影響していて、今は本格的にフランス留学を考えています。
― 最後に、これから参加を目指す後輩にメッセージをお願いします。
岩田さん:フランス音楽を学びたい学生にとって、これほど得るものの多いプログラムはなかなかないのではないでしょうか。音楽的な学びに加え、文化や人との触れ合いを通して感性が磨かれていく。現地の空気の中で五感を使って音を感じると、楽譜からは決して得られない“生きた音楽”が立ち上がってくるのを感じました。自分の興味を信じて一歩踏み出すと、その先にはきっと新しい世界が待っています。
清水さん:現地の空気や音を間近に感じることが、なによりの刺激でした。例えば消防車のサイレンひとつとっても日本とは異なり、街のざわめきや人の声までもが音楽の一部のように響き、環境そのものが学びになる。フランスの先生方は必ず「あなたはどう思う?」と問いかけてくださり、自分の中に軸をもつことの大切さを教えてくれました。迷っている人こそ、挑戦してほしい。きっと、多くの気づきを得ることができます。
(総務広報課)