検索

よく検索される項目

【卒業生インタビューシリーズ~TCMの先輩たちの今】第22回 大嶋 浩美さん(とちぎ未来大使)

 

大嶋 浩美さん

 

大学院修士課程器楽専攻(ピアノ)2012年修了
器楽専攻(ピアノ)2009年大学卒業


大嶋浩美さんは、地元・栃木を拠点に活動し、「とちぎ未来大使」としても活躍するピアニストです。演奏に加え、講演や後進の指導など、音楽を通じて地域と関わり続けています。ラ・フォル・ジュルネへの出演や海外での研鑽を経て選んだのは、「地元で音楽を届け続ける」という道でした。その歩みの土台には、東京音楽大学での学びがあります。音楽とどのように向き合い、地域の中でどう根づかせていきたいか。その歩みをお聞きしました。

 
 

― 音楽との出会いから、東京音楽大学での学びについて教えてください。

 

母がピアノの先生だったこともあり、音楽は身近な存在でした。さらに幼い頃からヴァイオリンも習っていたため、楽器に触れることは特別なことではなく、日常の一部。気がつけば、音楽のある環境で育っていました。小学3年の時から、後に東京音楽大学に進学後も師事することとなる、東誠三先生に教えていただけることに。はじめてのレッスンで聴いた東先生の音。その瞬間の衝撃は今も忘れられません。同じピアノなのに、どうしてこんなにも美しい音が出るのだろう、と。その音をうまく表現できる言葉は見つかりませんが、その体験は、今でもずっと心に残り続けています。
 
とはいえ、当時から音楽の道を目指していたわけではありません。中学・高校は進学校に通い、理系に進むつもりでいました。化学や数学が好きで、将来はそちらの道に進むのだろうと考えていたんです。しかし進路を考えた時、「もっと深く音楽を学びたい」という思いが強くなり、東先生のいる東京音楽大学の受験を決意しました。
 
受験準備は決して早いスタートではなく、高3の5月頃から楽典や聴音、ソルフェージュをゼロから学びはじめました。課題曲も約9か月で仕上げる必要があり、その年は届かず、1年浪人することになりましたが、自分と徹底的に向き合う時間でもありました。そして、東京音楽大学に入学してからも必死の連続でした。さまざまな授業の中で、例題として当たり前に取り上げられる曲についての知識がなく、授業の後、楽譜や音源を手に全体像をつかみ、理解を深める日々。そうして一つひとつ積み重ねる中で、音楽との向き合い方を学んでいきました。その姿勢が、今の活動の土台になっています。
 

― 東京音楽大学在学中に音楽との向き合い方を見つけられたのですね。その学びを経て、音楽に対する視野はどのように広がっていきましたか?

 

東京音楽大学でさまざまな角度から基礎を積み重ねる中で、自分の中に少しずつ手応えが生まれていきました。大学3年の時、ピアノの学内演奏会でヒナステラの曲を演奏し、はじめてオーディションを通過。それまで自分の中では手探りの連続でしたが、「挑戦を続ければ道は開けるかもしれない」と思えた瞬間でした。その後、日墺文化協会フレッシュコンサートで奨励賞をいただき、そこからご紹介いただく形で、大学4年の時にラ・フォル・ジュルネに出演する機会を得たんです。しかし、1カ月半で30分のプログラムを仕上げる必要がありました。それまで10分以上の曲を本番で弾いた経験もほとんどありませんでした。とにかくやるしかない。1日15〜16時間ピアノに向かい、3日で30分のプログラムを暗譜し、テンポで弾けるところまでもっていきました。無我夢中でした。

 

父が撮ってくれていた映像を、後になって恐る恐る見返したことがあります。思っていたより、ちゃんと弾けている。そこではじめて、「力はついていたのかもしれない」と感じました。大学2年から師事している菊地麗子先生には、それまで「大学院は難しい。勉強を続けたいなら留学しなさい。」と言われていました。実力が足りない、と率直に告げられていました。それが、ラ・フォル・ジュルネの後には「力がついたから死ぬ気で頑張れば、なんとかなるかもしれない」と言っていただけた。自分では大きな変化を感じていなくても、積み重ねてきたものは確実に形になっていたのだと思います。
 

ラ・フォル・ジュルネを経験したからといって、心境が劇的に変わったわけではありません。ただ、目の前の本番をより深く学び、仕上げていく。その姿勢が、そこからずっと続いています。気づけば18年。振り返ると、あの舞台は“特別な転機”というより、今につながる流れの中のひとつだったのかもしれません。

 
- その後、大学院、海外で学ばれ、地元・栃木に拠点を移されたのはどのような経緯だったのでしょうか?

 

もう少しピアノを演奏するということについて向き合いたいという思いがあり、大学院に進みました。菊地先生や東先生のもとで、あらためて基礎を見直し、自分の演奏を深めていく時間です。大学院を修了した後、海外でも学ぶ時間へ。アメリカで大学に在籍するのではなく、マスタークラスをベースに、自分で学びの場を選ぶ形を選択しました。ドクターを取得する道もありましたが、授業や論文などの課題に時間を割くよりも、とにかく演奏技術を磨くことを最優先にしたいという思いがありました。そんな中、「学校に在籍しなくても勉強はできるよ」というアドヴァイスに背中を押されたのです。それまでは、どこかの大学に入って学ぶものだという固定観念がありましたが、学び方はひとつではない。必要な場所へ行き、必要なレッスンを受ける。アメリカを拠点にしながら、ヨーロッパでもレッスンを受けるなど、行き来を重ねました。
 

▲シカゴ交響楽団元首席ピアニストのメアリー・サワー氏のスタジオにて。

 
その間、日本でもリサイタルやコンサートの機会をいただき、自主企画も行っていました。行ったきりではなく、行き来を続ける生活。気づけば、空港で荷物を25キロぴったりに詰められるようになっていたほどです(笑)。
 
活動の拠点を日本に戻したタイミングで、日光観光大使に推薦していただきました。いつも応援してくださっている方が、「音楽で日光と世界をつなぐ懸け橋に」と後押ししてくださったのです。拠点を戻すことは、大きな決断というよりも、自然な流れでした。海外で学びながらも、地元とのつながりは常に途切れることがなかった。自然豊かで空気が澄んでいる土地の広がりの中で音を鳴らすと、どこか安心する。栃木・日光という地元が、音楽を続けていく場所として、無理のない、そして大切な拠点になっていました。

 
- 現在は地元・栃木で演奏活動のほか、講演や後進の指導など幅広く取り組まれています。そして「とちぎ未来大使」としても活動されていますが、どのような思いで地域に音楽を根づかせる活動を続けていらっしゃるのでしょうか。

 
学生時代に菊地先生の助言で開催したリサイタルをきっかけに、地元での公演を続けています。リサイタルや美術館でのコンサート、学校での講演や後進の指導など、少しずつ活動の幅も広がってきました。ただ、自分の中では活動のすべてが“音楽を届ける”という、ひとつの延長線上にあるように感じます。「とちぎ未来大使」という肩書きをいただいた際にも、何か大きなことを成し遂げているという意識はありませんでした。目の前の本番を大切にし、その場にいる方へ音を届ける。それを続けてきただけ。ただ、その積み重ねを地域の中で続けていくことに、大きな意味があると感じています。

 

▲栃木県教育委員会が栃木県内の中学校を対象に実施する、とちぎ未来大使「夢」講座。
キャリア教育の講話のほか、ミニコンサートを実施し、生の演奏を届けている。

 
印象に残っているのは、伊福部昭先生の作品を演奏した時のことです。東京音楽大学の元学長であり、実は私の祖母の家の近くにお住まいだったというご縁もありました。伊福部先生の没後10年の折、日光東照宮での奉納リサイタルにて、先生の作品をはじめて地元で演奏する機会をいただいた時、土地と音楽が静かにつながったような感覚がありました。また、伊福部先生の代表的な作品でもある「ゴジラ」のテーマを使用した『SF交響ファンタジー第1番』を地元で演奏した際には、会場は思わず息をのむような空気に。ピアノから響く重厚な音に驚いたように目を見開く子どもたちの姿を見た時には、生の音を直接肌で感じ、生の音が直接心に届く瞬間を、はっきりと感じました。
 

▲東京音楽大学大学院同期の岩見玲奈氏(マリンバ)と、日光東照宮にて奉納リサイタル。
2023年の奉納リサイタルでは、伊福部昭氏の『ラウダ・コンチェルタータ』など、邦人作品を奉納。

 
生の音を聴き、空気の震えを感じる体験は、きっと心のどこかに残る。一度きりの出来事でも、その記憶は長く続きます。本物の音楽は感動を呼び起こし、人を浄化させる。そしてそれは、子どもだけではありません。大人の方、これからはじめてピアノに触れる初心者の方にも、音楽の楽しさを、楽器を演奏する楽しさを知っていただきたい。そのような思いで取り組んでいる「初心者のためのピアノ教室」(受講料無料講座)でも、音楽は特別な人のものではなく、誰にでも開かれているものだと感じています。その小さな積み重ねこそが、地域の中に音楽を根づかせていくのではないでしょうか。その他、高齢者施設への慰問コンサートなど、さまざまな活動をご評価いただき、2024年に下野新聞社主催の「第7回とちぎ次世代の力大賞・学術芸術スポーツ振興部門」にて優秀賞を受賞しました。

 

▲2024年、「第7回とちぎ次世代の力大賞・学術芸術スポーツ振興部門」にて優秀賞を受賞。
日光金谷ホテルでの受賞記念リサイタルにて、恩師・東誠三先生と共演。

 
東京音楽大学で学んだことは、技術だけではありませんでした。基礎を徹底して積み重ねること、問い続けること、仲間と切磋琢磨すること。その土台があるからこそ、どこで演奏してもぶれない軸をもてているのだと思います。音楽の道は華やかに見えるかもしれませんが、実際は地道な積み重ねの連続です。それでも、自分の音を信じて続ける。その姿を見せることも、地域に音楽を根づかせるひとつの形なのかもしれません。これからも栃木という場所で、音を通して人と人をつなぎ続けていきたいと思っています。

 
 

(総務広報課)

 

ページトップへ