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【教員インタビューシリーズ】第1回 エリソ・ヴィルサラーゼ客員教授スペシャルインタビュー

ヴィルサラーゼ客員教授スペシャルインタビュー

インタビュアー 小林出教授(2020.1.22)

 

5年前から本学のマスタークラスを指導しているヴィルサラーゼ客員教授に特別インタビューを実施しました。インタビュアーは、ピアノ科主任小林出教授です。世界を代表するピアニストである先生の音楽観や指導法、本学の学生へのメッセージなどを伺いました。

 

ー ヴィルサラーゼ先生のあふれ出るような、ほとばしるような音楽の原点はどこにあるのでしょうか?

 

私はそんなにエネルギーあふれていませんよ。時々エネルギーが枯れることもあるんです(笑)。 私が唯一言えることは、沼沢淑音さんという教え子に今回日本で会ったんですが、彼は今教える立場になって、こんなことを言ってたんですね。「ヴィルサラーゼ先生、どうやったらコンサート活動と教えることの両立ができますか、僕は無理です、そこまでエネルギーがありません」という風に。確かに演奏しながら教えるというのはすごく難しいことです。
「霧島国際音楽祭」で、私は毎日レッスンし、コンサートを二回ぐらいしていますが、野島先生も「どうしてそんなことができるの?すごいね」っていつも言います。確かに難しいし、しんどいです。
でも、エネルギ―を自分から出しているのではなく、すばらしい作品達が私にエネルギ―を与えてくれて自分を動かしてくれるんです。

 

ー エネルギッシュという意味とはまた別に、あふれ出る音楽の源はどこにあるのでしょう?

 

今これだけのキャリアを積んだ立場になりましたけれども、私は新しいものに取り組みたいと思う気持ちをいつも持っていて、やりたいものの数が多すぎてなかなか追いつかず、すごくもどかしいくらいです。

 

 

ー 去年マスタークラスのレッスンで先生がお弾きになったピアノは古くて大変扱いにくく、音も鳴りにくいブリュートナーでしたが、先生の音は信じられないほど深い響きでした。先生はピアノのもっている可能性を限りなく引き出していらっしゃる。そして一音一音に強い意志を感じるし、魂に響く、その上スケールが大きくて、躍動感にあふれていますね。今日のレッスン室の古いスタインウェイも決して良い状態とは言えませんが気になりませんでしたか?

 
ソ連で生活していた頃はものすごい楽器で弾かされていた時代があったので、これとは比べ物にならないぐらい最悪の楽器でした。レニングラードやモスクワの大都市以外の小さな街でも演奏活動をしていましたが、そこにあったピアノはもうとてもじゃないけど表現できないような最悪な条件の楽器でした。それでも私たちは弾かなければいけなかったの。それに、私の考え方としては、「悪い楽器は無い」、でも「悪いピアニスト」はいます!

 

ー 笑、名言ですね。

 

でね、その悪いピアニストというのは、スタインウェイを上手に弾くことも出来れば、スタインウェイを台無しにすることもできます。だからという訳ではないけど私にとっては、どんな楽器でも苦にならないの。でも本当に残念ながらモスクワ音楽院で用意されているピアノは最悪の状態です。来ていただければわかります。ペダルはギシギシいうし、調律はされてないし、ネイガウス先生が教えていた教室にある楽器なんか左ペダルがミシミシギシギシいつもいっていました。本当に恥ずかしいようなピアノしかなかったのよ。今もね。笑

 

ー ネイガウス先生のクラスでもそんな楽器なんですか。

 
ネイガウス先生のレッスン室ですら、ですよ。

 

ー ところで、先生はマスタークラスを長年ご指導されていて、学生に音楽を伝えるコツというか、何か心がけていらっしゃることを一言お願いします。

 
一言ではなかなか申し上げにくいのですが、というのはやはり全ての学生がそれぞれみんな違いますからね。みんな何かおもしろいものを必ずもっています。中にはレッスンに来た時にその曲をまだ弾きこなせていない子もいます。その弾きこなせていない曲をどういう方向にもっていくか、を指導する時もあれば、かなり弾きこんできているけれどもまだ自信をもっていないから、自信をつけさせるような教え方をしなければいけない時もある。という意味で、本当にその時々によって注目するべきこと、大切にしなければならないことは変わってきます。中にはすぐその子に「君の短所はここだ、君の足りていないところはここだ」ということをズバッと言える場合もあるし、そういうことを言ってしまうと壊れてしまう、非常に繊細でそこまで達するのに何年もかかってしまう子もいます。

 

 

ー そうですね、おっしゃる通りだと思います。ところで先生はシューマンやプロコフィエフの演奏に対して非常に高い評価を受けています。しかし僕は先生の演奏やマスタークラスのレッスンを聴いていて、すべての時代のピアノ曲に精通していらっしゃる、と感じました。時代を超越したものを垣間見ることができる、ということでしょうか。例えばシューマン、ショパン、リスト、ブラームスなど、先生はどのような意識を持ってアプローチなさいますか。

 

そうですね、それぞれの作曲家を語るにはいくつもの作品を何年も弾きこんでいないと語れないと思います。ベートーヴェンにはすべてがあります。ベートーヴェンを正確に読み込むことができれば、他の作曲家の作品も理解できるようになっていきます、理論的にはね。ベートーヴェンのソナタをみてみると、そこにはショパンのノクターン、さまざまな変奏曲、そしてシューマン、ブラームス、そしてプロコフィエフもジャズも含まれています。例えば作品101(28番ソナタ)のソナタ、ハンマークラヴィーア(29番ソナタ作品106)、後期の弦楽四重奏には、ウェーベルンやシェーンベルクまで聴こえてきます。
私がすごくラッキーだったのは、最初に教わった祖母アナスタシアにモーツァルトをたくさん弾かされたことです。それは私にとってとても幸せなことだったと思います。でもエチュードは大嫌いだったのよ。エチュードの点数はいつも最悪だったわ。要するに練習のための練習曲が大嫌いだったということです。

 

ー 先生にはショパン練習曲集の名演がありますね。

 
ショパンのエチュードは練習曲とは思っていませんよ!
一方、モーツァルトのテクニックは何と難しいことか。ソナタのなかでも音符の数が少なければ少ない作品ほど、まるで裸を公衆の面前でさらしているかのような難しさがあります。それでも何もない中で何かを私たちはやらなければならない。そういう意味ではベートーヴェンよりモーツァルトの方が難しいですね。ベートーヴェンは「独裁者」です。こうしなさいと全部楽譜に書いてある。モーツァルトはそんなことはしてくれません。でもモーツァルトの作品は色んなリダクション(ここではさまざまな校訂版の意)があるじゃないですか、後世の人たちがこう弾けああ弾けって、いろんなことを付け加えている。いつも必ず余計なことまで付け加えて、ここはこうして、とか、何か新しいものを付け加えたがります。例えばショパンに関して現在はエキエル版を使うべきとよく言われています。しかし過去のショパンの名演奏集がたくさんありますが、コルトーはショパン弾きと言われていますけれど、その演奏は勿論エキエル版で弾かれてはいません。とにかくモーツァルトの楽譜に関しては、非常にナンセンスなものが多いと思います。

 


 

ー モーツァルトに最初に出会ったとおっしゃいましたが、その時にモーツァルトはこう弾かなければならない、というようなことを教わったんですか?

 

私は非常に聞き分けが悪かったので、祖母からいろいろ言われても素直には従いませんでした。ピアノの前にずっと座っていることは苦ではなかったけれど、練習することは大嫌いでした。座っていなさいと言われたら、いくらでも座れたけど練習自体は大嫌い。でもモーツァルトの音楽は最初から私にスーッと入ってきて、祖母から何かアドヴァイスされたとか指示されたとかという記憶はありません。それほど自然に弾いていたし大好きでした。モスクワに行く前にジョージアのトビリシの音楽院に行っていたんですけど、入学の時にモーツァルトのソナタを、8曲か9曲、結構しっかりと弾きこんだんですよ。

 

ー トビリシの音楽院に入る前ですか?

 

そうです、入る時には既に勉強してありました。17歳くらいの時です。モーツァルトのカルテットも結構弾いていましたし、室内楽もたくさんやっていました。モーツァルトのカルテットもかなり弾いていましたよ。

 

ー 17歳より前に室内楽も経験されてたんですね?

 

そうです。オーケストラとも弾いていました。小さいころから室内楽にすごく惹かれていて、今の音楽活動においても室内楽なしでは考えられません。モーツァルトのヴァイオリンソナタ、トリオ、四重奏、そういった室内楽なしではモーツァルトを弾けるとは言えないですね。残念ながら歌こそ歌えませんが、モーツァルトはやっぱりオペラなしでは考えられません。もちろん歌わなくてもモーツァルトのオペラをピアノで弾くとか。そういう風にしてモーツァルトを語る時には、すべての分野の音楽を知ることがとても重要だと思います。小林先生の質問に対する答えとしてもう一度繰り返します。モーツァルトは割とすんなり入ってきた。ベートーヴェンもほぼすんなり。シューマンもシューベルトも。ショパンは長くかかりました。

 

ー なぜですか?

 

難しいですね。ショパン演奏のトラディション、伝統、伝統っていろいろ言われていますが、決してプラスではないトラディションも多いと思います。ショパンはサロン音楽です。いい意味での一番ハイレベルのサロン音楽の作曲家。そのショパン音楽のサロン性をいい意味でキープする、それは実はすごく難しい。ちょっと下手するとすごく軽い音楽になってしまうし、あるいは古典的になりすぎてしまったりすることもある。ですからショパンの音楽を彼の一番魅力的なレベルにキープする演奏というのは非常に難しいと私は考えています。

 

ー そういう意味では先生のショパンは非常に格調高いと思います。

 

私の考えでは、ショパンはいい意味でシンプルに弾けば弾くほどいい演奏になるような気がします。音楽そのものが非常にエスプレッシーヴォですから。ラフマニノフもそうですが、同じことが言えるかもしれません。ラフマニノフは楽譜に書かれていない表現をつけすぎると息苦しくなるほどの演奏になってしまいます。
そこが一番難しいし重要だと思います。音楽だけじゃありません、芸術がもっているシンプル性、単純さというのはそれを守ることがとても難しいことだと思いますね。絵画の世界でもそうですが、私はいわゆる近代的な、非常にモダンなものはあまり好きではないけど、音楽も音楽そのものがもっている真髄とも言える単純性、シンプルさを表現することが一番難しいと思います。現代音楽においてもシンプル性はすごく好きです。

 

ー 昔ドイツ人のピアニストのベートーヴェンにすごく感動したことがあります。特別なことは何もやっていない、でも強く心に残っています。そのまま楽譜通りに弾いているんですが忘れられない演奏です。

 

その方はまだ生きてらっしゃる?

 

ー いいえ、亡くなられました。

 

ちょっと前の時代のピアニストにはそういう名手たちはたくさんいましたね。エトヴィン・フィッシャーはマスタークラスで、学生がベートーヴェンの協奏曲4番を弾いたときに、一番出だしのところから、「なんでそんな余計なことをするの?もっと簡単に弾いてごらん、自然を見てきれいだなと思うのと同じくらいに自然に弾いてごらん、シンプルに弾いてごらん」とアドヴァイスしました。音楽そのものが、たくさんのことを語ってくれているのですよ。
エネルギーの話がさきほど出ましたが、私はこれだけ音楽に接していて本当に幸せなことに、音楽からたくさんのパワーをもらっているのかもしれませんね。音楽に接しているだけでこんなに満たされた気持ちになるわけですから。もしも、もしもですよ、音楽に惹かれなくなったり、音楽ってすばらしいと思えなくなる日が来たら、私は蓋を閉じてピアノとお別れするでしょうね。でも音楽に感動している限り、私はいつまでもずっとピアノを弾き続けると思います。

 

ー 一番最初に質問させていただいた「先生の原点」ということが今おっしゃられたことにあるような気がしますね。

 

私たちはとても幸せです。今の非常に複雑な世の中で、色んなことが起きていても、私たちは奇跡とも言える世界、音楽、というすばらしい世界に居続けられるわけですからね。とても幸せなことだと思います。私は東京音楽大学の学生たちがとても好きです。今回初めての子もいるし、もう本当に何回も、何年にも及んで見続けている子もいます。私は常に一人ひとりに望んでいます、自分たちがもっている力を限界まで引き出してもらいたい、と。

 

ー 最後の質問になりますが、東京音楽大学の学生の印象をお聞かせください。5年間で印象は変わりましたか?

 

とっても!!いい意味で変わっています。すごくいいなって興味をそそられる子もいますし、ただただピアノを上手に弾きこなしている子もいるし、それ以上のものを持っている子たちも大勢いますね。いろいろな可能性をすごく感じています。
最後に、余談になりますが、「霧島音楽祭」も、私にとっては大変おもしろい仕事のひとつです。自然が大好きなので、霧島の自然にすごく惹かれています。「霧島音楽祭」は世界のどの音楽祭にもないものをもっていると思います。

 

ー 気候は如何ですか。

 

大好きです。本当におもしろいですよ。三日、四日でも時間があればぜひ行ってみてください。温泉もすばらしいのよ。

 

ー 温泉はお好きですか?

 

温泉入ったことないわ。

 

ー えーっ(笑)

 
源泉は熱いから、ちょっと、、、あ、でも、もったいないとは思うんですけどね(笑)。とにかく皆さんも行ってみたらいいと思いますよ。

 

 
(広報課)