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NEW!【卒業生インタビューシリーズ~TCMの先輩たちの今】第20回 浅野 千尋さん(歌手、ボイストレーナー、音声教育学者)を掲載しました

 

浅野 千尋さん

 

歌手、ボイストレーナー、音声教育学者
2019年 声楽演奏家コース 卒業
東京音楽大学付属高等学校卒業


東京音楽大学を卒業後、アメリカ・ボストンを拠点に声楽家として活動を続ける浅野千尋さん。現地のニューイングランド音楽院の音声教育学科(Vocal Pedagogy)修士課程を修了し、取得が極めて困難とされる「アーティストビザ(O-1)」を獲得。アメリカ最大級の室内楽音楽祭「マールボロ音楽祭」や、新作オペラ『Shizue』の主演など、次々とキャリアを切り拓いてきました。声を武器に世界と向き合う浅野さんに、卒業から今、そしてこれからについてお話を伺いました。

ニューイングランド音楽院での学びについてのインタビュー記事もご覧ください。

 
 

― 卒業後、まずどんな道を歩まれたのでしょうか?

 

ニューイングランド音楽院卒業後は、「OPT(Optional Practical Training)」という制度を利用してボストンでオペラ歌手として働きました。OPTとは、留学生が大学卒業後に取得できる就業許可プログラムのことです。大学で学んだ専門分野の職業経験を積む機会が1年間提供され、留学生がアメリカでキャリアを構築する手段のひとつとなっています。この1年間、周囲の先生方や先輩のアドヴァイスを何よりの拠り所にしながら、私はアーティストビザの取得準備を進めました。
 
OPT期間は、いわば“猶予期間”にすぎません。私のようにアメリカで活動を続けたい人は、この1年でアーティストビザ(O-1など)取得の準備を進めます。しかし実際には、多くの留学生が母国へ帰国してしまいます。ビザの可否は積み重ねた実績に大きく左右されるため、道のりが険しいからです。ここ10年で、ニューイングランド音楽院の声楽科の卒業生でアーティストビザを取得できた人は、ほんの数名しかいません。
 
ともかく、私はアーティストビザをとると意気込んでいたので、この1年間はギグ(音楽の仕事)をひたすら詰め込みました。多い時は1カ月に20本近くの本番をこなし、朝はリハーサル、午後は学校訪問でアウトリーチコンサート、夜はまた別の本番というスケジュールも珍しくない。まさに極限状態でしたが、苦しいというより「とにかくやるしかない!」という気持ちでした。
 

― アーティストビザの取得は相当大変だとお聞きします。

 

アメリカのアーティストビザは、名前からして「Persons of Extraordinary Ability(卓越した才能をもつ人物)」ですからね。日本での活動歴も多少加味されますが、重視されるのはアメリカ国内での実績。どれだけ演奏しているか、どれだけ新聞などメディアに取り上げられているか、どれだけ推薦状を集められるか。そのすべてが、ビザ取得に直結するんです。新聞記事やレビューの証拠資料だけでPDF500枚。推薦状も8通必要です。しかも、弁護士費用がものすごく高い。私はクラウドファンディングで約70万円支援いただきましたが、実際には150万円近くかかりました。支援してくださった方と、奔走してくれた弁護士の先生方の力がなければ到底成しえなかった挑戦です。
2024年の夏、OPT終了ギリギリでようやく取得できた瞬間は、サポートしてくれた皆さんとよろこびを分かち合いました。そして何より、離れて暮らす家族が背中を押し続けてくれたことが、最後のひと踏ん張りにつながりました。
この1年はひたすら働き、全力で駆け抜けた、そんな1年でした。今はその経験を力に変えて、次の挑戦へ向かっています。

 

- アーティストビザ取得を目指して活動する中で、世界的にも著名な室内楽の祭典「マールボロ音楽祭」に出演したそうですね。どのような経緯で選ばれ、どんな経験をされたのでしょうか?

 

マールボロ音楽祭は、最も有名なアメリカの室内楽の音楽祭のひとつで、指導には内田光子さんや今井信子さんといった世界的な音楽家が名を連ねています。私が選ばれたきっかけは、ニューイングランド音楽院在学中に偶然授業に来られた著名な作曲家、ジョン・ハービーソンさんの前で歌ったことでした。その時は何も言われなかったのですが、後に音楽祭の事務局から「オーディションを受けてみませんか」と突然メールが届いたんです。まさか自分が推薦されていたとはつゆ知らず、当時は「スパム?」と疑ったほどですが、私を推薦してくださった先生方のお陰と知り、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
現地では、バーモント州の山奥に7週間缶詰状態で、毎日朝から晩までリハーサルの連続。歌手は各声部ひとりずつという編成で、数十の室内楽グループに分かれて演奏に取り組みます。毎日が本番のような緊張感の中で、選ばれた曲だけが演奏会で披露できるという厳しい環境。そんな中、内田光子さんと共演し、「コラール・ファンタジー」でソロを務めたことは大きな自信につながりました。音楽漬けの濃密な夏で、自分自身が一回りも二回りも成長できたと感じています。さらに、音楽祭主催の選抜メンバーとして2026年春ツアーにヴォーカルカルテットで参加予定で、カーネギーホールを含む各地を巡るのが楽しみです。

 

  • ▲Marlboro Music Festival

- すばらしいご経験ですね!その夏に無事にアーティストビザを取得し、ポートランド・オペラでの新作『Shizue』の世界初演を成功させることができたそうですね?どのような作品だったのでしょうか。

 

『Shizue』は、20世紀初頭にアメリカに渡った日本人女性・岩月静江さんの半生を描いた新作オペラです。私は彼女の人生を演じる主役として出演しました。キャスティングにあたって“日本人女性を探している”という明確な意図があり、アジア系アーティストを積極的に起用する姿勢に、アメリカ社会の多様性への意識を強く感じました。この作品では、戦時中の日本人収容所の経験が描かれ、観客の中には自身の祖母が強制収容所に入っていたという方もいらして、「作品を届けてくれてありがとう」と涙ながらに声をかけられました。オペラを通して日米の歴史や日本人としてのアイデンティティに触れることができたこの経験は、私自身の表現の原点を見つめ直すきっかけにもなりました。
 

▲Shizue Portland Opera
 

― 浅野さんにとって“表現の原点”とは、どのようなものだったのでしょうか?また、アイデンティティを意識するようになった背景には何があったのでしょうか?

 

アメリカで活動を続ける中で、「私はなぜここにいるのか」「何を伝えたいのか」、そう考えることが非常に増えました。アメリカは多様性を重視する国で、ボストンのような地域では“アジア人だからこそ必要とされる”機会もたくさんあります。自分のルーツや文化を音楽に乗せて伝えることで、“私にしかできない表現”ができる。『Shizue』の経験も含めて、オペラは単なるエンターテインメントではなく、過去や痛み、歴史を伝える強力な手段なんだと実感しました。そういう作品に関わることで、私自身の表現の軸がはっきりしてきた気がします。だからこそパフォーマンスできるうちはアメリカで、自分の声で日本の文化や物語を伝えていきたいと思っています。
 

▲Mass Opera Alcina Ruggiero役
 

― 日本人であることがキャリアの強みになる場面も多いんですね。現在ほかにはどのようなお仕事をされているのでしょうか?

 

フリーランスとして、オペラやミュージカルの舞台に立つほか、教会では毎週アルトのセクションリーダーとして歌っています。また、ボイストレーナーとしても活動していて、プライベートで週に5〜7人の生徒を見ています。生徒は日本人もいればアメリカ人もいて、それぞれの声の悩みや目標に寄り添いながら指導することは、私自身の学びにもなっています。演奏面では、現代作曲家とのコラボレーションによる新曲初演にも力を入れています。完全アカペラでの即興や、2カ月に1度の新作初演など、創造の現場にいられることが本当に楽しいですね。
また、オーディション情報を「YAPトラッカー」で常にチェックしています。毎日世界中の募集が20件以上は掲載されるので、気になるものがあれば即応募。日本のコンクールにも久々に出場し、「宝塚ベガ音楽コンクール」で入賞しました。昨年は名門「メトロポリタンオペラ」主催の全米最大級のコンクールに出場し、中部地区で2位を受賞。1位には届きませんでしたが、挑戦を重ねる中で得られるものは大きいです。
とにかく私の活動の根底にあるのは、“ガッツ”。これしかありません。チャンスがあったらつかむ準備ができているか。チャンスを逃さない行動力と、粘り強く食らいつく姿勢があれば、どんな現場にも道は開けると信じています。言ってみる、やってみる。やっぱり、行動したもん勝ちなんです。

 

― 東京音大で学んでいた頃から、今のような“ガッツ”ある姿勢はすでに身についていたのでしょうか?当時の経験が、現在アメリカでの活動にどのように生きていると思いますか?

 

声楽専攻でしたが、クラシック一本ではなくさまざまな音楽に触れたいという思いが強く、好奇心を尊重してくださった加納里美先生、秋山隆典先生方のおかげで学びの幅を広げることができました。たとえば、ニューヨーク出身のジャズプレーヤーであるリック・オヴァトン先生のビッグバンドに参加して、羽田空港でのイベントに出演したこともあります(現在は付属幼稚園の園長をされているそうですね!)。
また、付属民族音楽研究所では、世界各地の伝統的な音の響きに触れることができました。所長の小日向英俊先生はシタールの名手で、その演奏からは深い文化的背景が感じられました。さまざまな音楽やその背後にある歴史を体感できたことは私にとって大きな糧となり、アメリカで幅広いジャンルの音楽に携わる自分のベースになっています。クラシックだけという枠にとらわれず、好奇心の赴くままに行動できた東京音大での4年間は、まさに今の“ガッツ”の源でもあると思います。

 

― 東京音大での経験が今の浅野さんに色濃く影響を与えたのですね。今まさに東京音大で学んでいる学生、そして東京音大を目指す方々にメッセージをお願いします!

 

とにかく、失敗を恐れず挑戦し続けてください。失敗したことなんて、他人は覚えていませんから(笑)! 挑戦した先に失敗があったとしても、むしろ挑戦したこと自体が力になるんです。新しい環境に飛び込むのは勇気がいります。でもそこで得た経験は、自分を一段階も二段階も成長させてくれる。東京音大は、頑張りたい人にとって本当にすばらしい環境です。仲間も先生も、みんな音楽に熱いから、刺激を受けながら切磋琢磨できます。だらけようと思えばいくらでもだらけられますが(笑)、本気でやろうと決めたらどこまでも学べる場所。そして何より、音楽って終わりがないんですよね。納得したと思っても、もっとこうしたいという気持ちが出てくる。だからこそ、学び続けることを止めないでください。私もまだまだ学ぶ身でい続けるつもりです。自分のペースで、自分の道を信じて、ともに進み続けましょう!
 

― 最後に、浅野さんがこれから歩んでいきたい夢への道のりを教えてください。

 

コンクールへの挑戦を続けつつ、将来的に力を注いでいきたいのは、日本の音楽教育を“進化”させること。特に、声楽の分野において、世界で通用するアーティストを育てるための環境づくりに本気で取り組みたいと考えています。アメリカでは、IPA(国際音声記号)を用いたディクションの授業が当たり前にあり、英語・イタリア語・フランス語・ドイツ語の発音を基礎から徹底的に学びます。しかし、日本にはまだその体系がほとんどない。日本人は、努力を惜しまず熱心に取り組むという音楽的なポテンシャルは高いのに、基盤が整っていないことで、世界に飛び立つチャンスを逃している人がきっとたくさんいると思うんです。私一人の力では成しえませんが、アメリカで得た知見を持ち帰り、仲間や後輩と手を取り合って未来を拓きたいです。
 
声を使って表現する人たちの未来のために、今、自分にできることをひとつずつ積み重ねています。日本から世界へ―その流れをつくりたいと思っています。

 

― たいへん貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

 
 

(総務広報課)

 

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