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【在学生インタビューシリーズ】第10回 小林雄太さんを掲載しました

小林雄太さん

(指揮4年 中越高等学校卒業)

 

人の記憶にずっと残る演奏を届けること、これが私の目標です

 

指揮者を目指すきっかけ

 私は4歳の時にピアノを習いはじめました。とにかく音楽が大好きだったそうです。中学生になり母親の勧めもあって吹奏楽部に入部し打楽器と出会いました。高校に入ると吹奏楽部に音楽オタクの先輩がいて、昼休みと放課後は、音楽室のテレビモニターを占領してオーケストラの映像を観る毎日を過ごしました。幼い頃からどこか指揮者に憧れがあったのですが、多くの場で演奏経験を積んでいくうちに、より一層その思いが強くなりました。

 

 高校2年生の時、芸術鑑賞会という催しでオーケストラが学校にやって来ました。演奏会の中で「指揮者体験コーナー」という企画があり、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」を指揮するというものでした。プロのオーケストラを指揮できる、またとないチャンスと思い立候補したのですが、結果は大失敗。

 

曲は知っていたので「正しくやればこうだろう」と指揮をしたところ、舞台も客席も反応が悪かった。当たり障りのない退屈な演奏にしてしまったのです。最後に登場した音楽経験のない情報科の先生の演奏が大変おもしろく、演奏者も含めて反応がまるで違いました。

 

「指揮者が違うとこんなにも違うのか」と痛感したと同時に、なによりも悔しさが残りました。この体験が「指揮者になる」と心に決めた、ひとつのきっかけになりました。ちょうど音楽大学に進学しようと思いはじめた時期です。

 

 吹奏楽部の活動のため中断していたピアノも受験のために再開。ただ吹奏楽部は引退せずに続けました。受験勉強と部活動の両立は大変でしたが、仲間たちと一緒に最後までやり抜いて引退したかったのです。受験勉強は授業中、内職で必死に取り組みました。

 

 そして高校3年生、地元長岡市内の高校が一堂に会する「中越ジョイントコンサート」の合同演奏の指揮を務めることになりました。リハーサルから各校の先生方がいらして大変緊張感がありましたが、約250名の奏者の前で指揮をした経験は、今も自分の糧となっております。

 

 東京音楽大学を目指したのは、カリキュラムが充実していることもありますが、なにより広上淳一先生に憧れていたからです。先生の音楽は一度聴いたら忘れられません。「この先生に習いたい」と強く思っておりました。なにより先生の音楽が大好きです。

 

入学してから

無我夢中で勉学に励みました。あらゆることを学びたいと思い、教職課程、音楽学課程と履修できるものは、すべて履修しました。通っていた高校は普通科だったので、慣れないことばかりでたいへんでした。

 

 東京音楽大学の指揮の実技レッスンは週1~3回の2台8手のピアノでレッスンを受ける「個人レッスン」と、週1回の有志オーケストラを相手に指揮する「合同レッスン」があります。「合同レッスン」は指揮の先生方はもちろん、第一線で活躍されているプロフェッショナルの演奏家の先生方からも多角的に指導をしていただくことができます。

 

 とにかく「考える」こと。これは広上淳一先生から教えていただいたことです。「答えがないもの」に対し自分で考え、いやというほど自分と向き合い、自分の弱みを受け入れ、それを認めていく、東京音楽大学に入学していなかったらこのようなことは決して学ぶことができなかったと思います。

 

 また音楽祭や定期演奏会などでピアノやチェレスタの鍵盤奏者としてオーケストラに参加できる機会が多くありました。指揮だけでなく、実際にオーケストラの一員として舞台に立つことで学んだことも多いです。

 
 
そして、幸いなことに指揮を学ぶ同期にも恵まれました。他愛もない話もたくさんしますが、いつからか自然と切磋琢磨する関係になっていたことは、私のひとつの支えになっています。愛情をもって教えてくださる先生方、支えてくれる仲間たちと共に学べることに深く感謝をしています。

 


▲ 2019.09.23「指揮クラブフレンドシップコンサート」(TCMホール)

 

どんな指揮者になりたいか

 うーん、一番の・・・理想は、人の記憶にずっと残る演奏を届けること、これが私の目標です。
会場にいる皆さんが「幸せ」と感じる時間を創りだせる指揮者になりたいです。

 

 話は変わりますが、昨年の「別府アルゲリッチ音楽祭」で生まれてはじめての体験をしました。鍵盤付きグロッケンシュピールの奏者として東京音楽大学シンフォニーオーケストラに参加した時のことです。

 

アンコール曲 ― アルゲリッチ先生とマイスキー先生のデュエットのショパン『チェロソナタ ト短調(第3楽章)』― では客席も、ステージ上も、また舞台奥にいた私たち皆が涙しました。本当にこの瞬間、この時間が止まってほしかった。どうしたらこのような演奏、まさに人の記憶に残る演奏ができるのだろう、この問いを一生かけて追求していかねばと強く思いました。

 

 一方で指揮者としてだけでなく、ひとりの人間としてクラシック音楽の普及に貢献していきたいです。教育の影響なのか、クラシック音楽はまだまだ縁遠いものになってしまっています。老若男女問わず、ぜひ楽しんでもらえるように活動していきたい。さまざまなことを考えなければいけませんが、「人と人を結ぶこと」、これも私の大切な目標です。

 

 自分の人生を振り返ると幸運な出会いがたくさんありました。私は、その時々多くの人に迷惑をかけながらも、支えてもらい生きてきたのです。2004年に中越地震に襲われた時、当時小学1年生だった私は、全国の本当に多くの方々に支えてもらいました。当時のことは今も忘れることはできません。

 

まだまだ未熟者ではありますが、これからの人生は今までお世話になった皆さんに恩返しをしていきたい。指揮者として、人間として、そうなりたいです。

 
 

(広報課)
 
※インタビューは2020年2月に行いました。