国内外のコンクールにおいて本学学生・卒業生の受賞が続いています。ピアノ主任教授の石井克典先生に特別ロングインタビューを実施いたしました。
コンクールの現況、演奏において大事なこと、および本学ピアノでの学びの特徴についてお話を伺いました。3回に分けて掲載いたします。
(第3回)
― 前回に続いて、東京音大ピアノの学びの特徴を教えていただけますか?
本学ピアノの学生の水準が向上してきた理由に、学部ではレッスン以外に必須授業の「伴奏法」選択科目の「室内楽」がリニューアルされ、「ピアノ実践伴奏」という新科目が立てられました。
大学院修士課程では「器楽特殊研究」という毎週行われる集団授業もリニューアルされ、オルガン、伴奏の学生との交流ももてるようになりました。
レッスンよりもむしろ友人たちの前で弾く方が緊張し、よく練習していると感じます。室内楽や伴奏を多く体験できるようになって、一緒に演奏すること=人(共演者)に聴かせること、につながっています。演奏で一歩出たり引いたりすることで音色が増え、なによりも音でコミュニケーションすることで聴衆に伝達する力も育ってきているのではないかとうれしく思っています。
ピアノ以外の他専攻の先生方との交流も、ピアノの学生にとってとても大きな力になっていると思います。
また、ピアノの学生がフォルテピアノを学べる環境をリニューアルしたので古典音楽へのアプローチがこれからさらに変わっていくのを楽しみにしています。楽譜の意味がさらにリアルにわかるようになるのではないかと思っています。
もうひとつ、これは私が個人的に学生にいつも伝えていることですが、世界史、西洋史を学ぶことはクラシック音楽において不可欠ですが、それはクラシック音楽の理解のためだけでなく、なぜ今の自分たちの生きる社会がこうなっているのか、日々の社会の変化を感じるための基礎となると思います。
私自身留学してはじめて、日本にいた時には気づかなかった日本のすばらしさを実感して日本の歴史をもっともっと知りたくなりました。歴史を学ぶことは一社会人としても大学教員としてもその学びが役に立っています。
音楽は人々を結ぶ共通のツール
演奏を学ぶことは自分を自分で育てる
音大の学生は主にクラシック音楽をとおしてさまざまなことを学んでいますが、クラシック音楽は長い歴史の中を生き抜いて残ってきたものであり、残ってきたものにはそれぞれに理由があるものです。勉強を続けていると、時間とともにどんどんその理由がわかってくる気がしています。
作品が過去どれだけの数の人々の共有物であったかを考えると鳥肌が立ちます。
過去の数々の人々が演奏したり、聴くことによって心を寄せてきた楽曲に今生きる自分たちが触れて味わうことは、聴くことだけでもそれを理解できて感情の共有ができることはなんとすばらしいことなのだろうと思います。
作品とは過去のそれを聴いた人々ともつながることのできるツールです。
大学ではそれを理解して毎日演奏の鍛錬をして過ごすのですから、とても厳しい学生生活だと思います。
実技試験ひとつとっても学生にとって準備は“壮絶”です。
特に試験前は、曲を理解してひとりでどれだけ孤独に自分を律して準備をしているか、実に大変な作業だと思います。しかも、演奏は当日のコンディションに左右されるとてもデリケートなものです。一度だけの消すことのできない、一旦始まったら前に進むのみの演奏の時間。楽曲に共感し、自身の感情に置き換えてステージ上で伝えることに没頭する時間。これを繰り返すことはまさに自分との対話で、無意識のうちに学生は自分で自分を育てていると思います。
本学はコンクールに出てステージを目指す人もいれば、本学で得た知識と経験をたくさんの人に伝達して音楽の喜びをシェアできる指導者になる人、クラシックのみならずジャンルを越えて活躍できる音楽家になる人、音楽と離れた専門職に就く人、教員になる人など、今までたくさんの卒業生が社会人として活躍しています。卒業生みんな演奏をとおして音楽と対峙して、聴いて、味わい、演奏して自分を育てその分野のエキスパートとして立派に活躍しています。
今でもさまざまな分野で活躍する卒業生から、演奏をとおして人としてのたくさんのことを学んだと言われます。音楽を理解して味わえることが卒業して何年たってもなによりの財産になっていると聞いてうれしくなります。
演奏の勉強にそれぞれの精一杯の熱意でのぞんで培われた能力と教養は、社会人になって大きく役立ち、人生を豊かなものにしていくのだと確信しています。
-お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。(完)